「格言は論敵に投げつける時には役立つけど、人々の力になっていない」と考えたJSミルの『自由論』について解説

ミル
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ミルは、自由論で「格言は他人を論破する時は役に立つ」「しかし、人々の心の力にはなっていない」などと述べています。

そのように考えたミルの意見を見ていきます。

格言からの学び

私たちは、いろんなところから格言を学びます。

道徳や、宗教や、文学作品などを読めば、何も経験を積まなくても、色んなことを学ぶことができます。

しかし、初めてその意味を「実感する」のは、経験によってであると、ミルは言います。

経験が大切

たしかに、格言を私たちは、本などから学びます。

しかし、人々が、初めてその意味を実感するのは、自分がその状況を経験する時なのです。

しかも、大抵は苦痛の伴った経験によって、その言葉の意味を理解します。

その格言で言われていたことが現実になって、痛い目を見た時に「本当の意味」を知るのです。

予期せぬ何らかの不運や失望で傷心している時、

これまでの自分の人生の中でずっと馴染んできた格言やことわざを思い出すのは、よくある話だとミルは言います。

ことわざを知っていたとしても、それをつくづく実感するのは、痛い目を見た後なのです。

自分自身の経験を通じてつくづく実感するまでは、意味の全体までは理解できない真理は多くあります。

そして、今でこそ理解できるという状態になった時に、周りの人は「格言に従わないから、痛い目に遭うんだよ」と追い討ちをかける言葉を言うかもしれません。

人生とは何か、人生においてどう行為するか、という考察は、誰もが知っています。

誰もが繰り返し述べたり耳を傾けたりしていて、分かりきったように受け取られています。

その格言で既に注意喚起されているのに、その失敗をしてる人がいると「ほれ見たことか」と叩いてくる人もいるかもしれません。

しかし、格言や決まり文句を口にして優越感に浸ってるだけの人は、その言葉の表面の殻しか理解できてないとミルはいいます。

格言を使って他人を論破してる人は、実はその格言の「表面的な意味」しか理解してないのです。

ことわざを使って他人を叩いてるわりには、彼らは、その言葉の本当の意味は理解していません。

なぜなら、言葉を知っていても、それを経験するまでは、その言葉の意味を実感することはできないのです。

議論も大切

ミルは、経験をしてなくても、その格言について「議論」をすることも大切だと述べています。

その言葉の意味を理解してる人たちの議論に触れていたら、その意味を事前に実感することができるからです。

しかし、正解を教えられているだけだと、その言葉の本当の意味を実感することはできません。

そのため、反論があることが必要なのです。

素晴らしい格言があって、みんなが素晴らしいと、満場一致で賛成した言葉だとしても、それを暗記をするだけだと、型通りのもの以外は全て忘れてしまうと、ミルはいいます。

暗記するだけだと、言葉が、思想を伝えなくなるのです。

最後に

格言を知ってるだけで、全てを知った気になってる人より、格言を経験して、失敗してる人の方が成長すると、ミルは言います。

そのため、格言は、他人を論破するために使うのではなくて、自分の成長のために使う方が有意義なのです。

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