消極教育
ルソーは、子どもは、12歳までは消極教育が必要であると考えました。
子どもが小さいうちから、道徳を教えるのは良くないと、彼は考えました。
子どもが小さいうちは、別のやるべきことがあります。
それは、心を悪徳から守ることです。
子どものうちにするべきことは、精神を不品行から守ることです。
子どもを周りから守ることを、まずはするべきです。
子どもが小さいうちから、道徳を教えてはいけないと、ルソーは言います。
なぜなら、子どもに「よい人間になれ」と松明で道を指し示しても、子どもには伝わらないからです。
何が道徳なのかを感覚的に理解できるようになるまで、親は、何もせずに待つことが大切です。
自力で道徳を理解する前に、親が道徳を教えてしまうと、偏見を持ったり、それを煩わしく感じるなど、悪影響が生まれてしまいます。
いつも道徳を言い聞かせてしまうと、それらを理解しないうちから信じなくなってしまいます。
大人が何もしないでいられるなら、生徒の目は理性へと開かれるのだそうです。
無理して、道徳を教えると、教育の本来の目的を達成することはできず、かえって、ますますそれから遠ざかることになります。
子どもは赤ちゃんの時からすぐに理性を持った大人になるわけではありません。
そのため、子どもにあまり早いうちから、子どもにふさわしくない知識を与えることは、良くありません。
なぜなら、道徳に対して「煩わしいもの」という偏見を抱いてしまうからです。
子どもが偏見を持たずに、心を開いた状態であれば、妨害されることなく、道徳を理解できるようになります。
何もしないことから始めることによって、あなたは、偉業を成し遂げたことになります。
これがルソーのいう消極教育です。
時間を犠牲にせよ
ルソーは「道徳嫌いになってしまうことを避けるためには、時間を無駄にする必要がある」と考えています。
なぜなら、子どものうちは、精神を働かせないで遊ばせる必要があるからです。
大人は、子どもを自由にし、放任しておかなければならないのです。
この自由にされ、放任された時間を無駄と考えてはいけません。
子ども時代には、のびのびとその時代を楽しませるが良いとルソーは言います。
子どもには何も教えないことによって、真の教育が行われるのだそうです。
ルソーは「何も失うまいとして、全てを失ってはならない。最初のうちに時間を無駄にしなさい。そうすれば、後になってから、大きなものを得る」と語っています。
子どもは大人ではない
「子どものうちは、子どもとして扱われなければならない」と、ルソーは言います。
大人は子どもに「早く大人になってほしい」と感じますが、自然は、子どもが大人になる前には、子どもであることを欲するのです。
子どもは、モノの感じ方、物の見方に、子ども独特のものがあります。
それを理解せずに無視しがちなのが大人なのです。
そのため、子どもは「大人とは違うもの」として扱われなければいけません。
また「良い未来のために、今は我慢しなさい」という教育方法も、良くありません。
幸せな未来のために、子ども時代を不幸にするべきだという考え方は、間違っています。
「幸せは遠い未来にあって、子ども時代は、縛りつけられるしかない」というのは、野蛮な教育です。
ルソーの時代も、子どもは、将来の役に立つのかも分からない勉強で、囚人のように勉強を課されていました。
子どもは、常に恐怖に晒されていました。
そんな子ども時代を過ごせば、道徳観に心が開かれることはありません。
だから、子どもは、子どもの自然に従って、教育しなければいけないのです。
勉強させる時は、その年齢の子どもにとって、役に立つものから教える必要があります。
「大人になったら役に立つのだから、勉強しなさい」と言い聞かせても無駄なのです。
罰してはいけない
子どもがモノを壊しても、罰してはいけないと、ルソーは言います。
なぜなら、子どもがモノを壊すのは、子どもの活動力のあらわれであり、それがたまたま破壊という動作で現れたにすぎないからです。
子どもにとって、作るも壊すも同じことです。
子どもがモノを壊しても、それは、けして悪意があってするのではないです。
子どもが高価な家に傷をつけても、子どもはそれを悪いことだと思ってません。
子どもにとっては悪いことではないわけです。
だから子どもが壊しやすいものは、子どもの手に届かないところに置くしかありません。
罰を与えても役に立たちません。
なぜなら、子どもは、なぜそれが間違いなのか分からないからです。
なぜ大人が怒ったのか分かってない子どもに謝罪させてはいけません。
もし、罰していれば、子どもは、怒りっぽくなってしまいます。
そのため、道徳を学ばせるには、失敗したり、成功したり、経験を積ませた方がいいのです。
大人が規範になるべき
子どもを教育する上で、心に留めなければならないことは、一人の人間を教育する前に、自らが人間でなければならない、ということです。
子どもは、大人を真似します。
「できない子を罰する」という教育を受けた子どもは、学校で「できない子を罰する」という発想になりがちです。
まずは、大人が子どもの規範でなければいけません。
周りの人から尊敬されない大人は、子どもにとって、良いお手本にはなりません。
道徳を言うだけでは、大人の権威は保たれません。
周りの人から尊敬されてる人だから、その人の権威が保たれるのです。