言論の自由
人には、世の中のいろんなものに対して、意見や感情を抱く自由があります。
そして、その意見を出版する自由を持っています。
他人から「間違ってる」とか「常識外れだ」と言われたとしても
個人は自分の意見を発表する自由を持っているのです。
言論の自由を守るべき理由は3つです。
①その人の意見が正しいかもしれないから。
②間違っていたとしても、常識が完全に正しいわけでもないから。いろんな意見を比較することで、正しい意見をより正しくすることができるようになるから。
③両方の意見が正しい場合は、様々な意見を吟味してこそ何が正しいかを自ら判断できるようになるから。
何を好み何を目的にして生きるのかという点での自由
人は、自分自身の性格に合った生活の仕方を作り上げていく自由を持っています。
結果を受け入れる覚悟があるなら、自分のしたいことをしていいのです。
自由とは、他人の幸福を奪わない限り、自分自身のやり方で自分の幸せを追求する自由です。
周りの人は「愚かだ。不適切だ」と思ったとしても、妨害してはいけないのです。
他人が見て「望ましい」と考える生き方をその人に強制するより、本人が自分に合ってると感じる生き方をする方がいいはずです。
みんなが、自分に合うライフスタイルを模索することは、良いことです。
生き方の違いを違いに認め合うことで、人類は、はるかに大きな利益を得るのです。
「これが伝統だから」というやり方で、個人の自由を制限すれば、人は不幸になります
なので、他人に損害を与えない限りで、私たちひとりひとりが個性を発揮することが、良いのです。
自分の生活を世間に従わせるのは、人間が機械になるみたいなものです。
私たちは、自分の頭で考えて、自分で人生設計をすることで、才能を最大限に活用できるのです。
それに、常識を重んじる社会は生きづらいです。
「みんなに変な人だと思われたくないから、やりたいことを我慢しよう」と考えるのは、社会にとって損失です。
なぜなら、周りの目を気にして、活動を萎縮すると、国民1人1人の才能が伸びないからです。
周りの目を気にする人が、思想家になることはできません。
思想家になるためには、自分の直感を信じることが大切なのです。
直感を放棄してしまえば、思想は発達しないのです。
団結の自由
最後に、個人どうしが結びつく自由です。
他人に危害を与えないのでなければ、どんな目的のためであれ、団結する自由があります。