今回は、途上国支援を志す人が知っておくべき経済学について話します。
この記事は、『貧乏人の経済学』という本から得た知識をもとに書きます。
私は、マレーシアで生まれ、日本で育ち、バングラデシュへ1年間留学したので、自分の経験からも共感できた部分について書きます。
効果的に募金を集める方法
途上国支援を頑張る人たちにとって、募金を集めることは、いちばん頭を悩ませる問題です。
より効果的に募金を集める方法はあるのでしょうか?
それについて調べたチームがあります。
そのチームは、2つのやり方で募金を集めました。
一つ目の方法では、被害者の「数」を強調したやり方です。
マラウィでは300万人
ザンビアでは300万人
アンゴラでは400万人が苦しんでいます。
という広告を出しました。
一方で、Bの方法では、女の子の写真と共に、ロキアはアフリカのマリにいる7歳の少女で、とても貧しいです。あなたがお金をあげれば、彼女の人生は、良い方向に変わります。
という広告を出しました。
すると、二つ目のやり方の方が、2倍近くの募金を集めました。
ロキアを助けるためには多少の責任を負えるけど、世界的な問題の規模に直面したら、人々は尻込みしてしまうようです。
途上国支援の専門家は、「大問題」にばかり目を向けてしまいます。
具体的に問題一つ一つにどう対応するのかではなく、海外援助は役に立つのか?などと漠然としたことで、議論をします。
しかし、解決できないことを壮大に議論しても、聞く側は疲れてしまいます。
「話の壮大さ」は、支援者から募金を集める時には、役に立たないのかもしれません。
ほしいのは米じゃなくて肉
次に紹介する話は「カロリーを増やすより、美味しいもの食べたい」というものです。
貧しい家庭に、米を買うための多額の補助金を与えるというプロジェクトがありました。
その貧しい家庭は、今までより安く米を買えるようになりました。
普通なら、「もっと米を買おう」となるはずです。
しかし、現実に起こったのは、その逆でした。
米を安く買えるのにも関わらず、米を買うのをやめて、エビや肉をたくさん食べるようになってしまいました。
一方で、エビや肉や高いです。
米を買うのではなく、そのお金で、エビや肉を買ってしまうと、より低いカロリー分しか買い物ができません。
補助金を受けた人々は購買力が増えたのに、全体としてカロリー摂取量は、増加しませんでした。
自分が豊かになったと感じた世帯は、米を食べなくなったのです。
少なくとも都会の最貧家庭では、カロリー摂取の増加が最優先事項ではなかったようです。
お金を得ると、食べなくなる
メディアが一般的に伝える物語では、「貧しい人は食べるものがなく、ガリガリに痩せている」というものがあります。
しかし、現在のインドでは、お金を持つ人ほど、さらにガリガリになる傾向が起きています。
インドは、どんどん豊かになっていて、インド人の収入は、どんどん増えています。
また、インドでは、食料の値段は下がりました。
つまり、以前より多くの食べ物を買えるようになってきています。
それなのにも関わらず、人々は食べなくなっているのです。
いったいなぜでしょうか?
仮説の一つとして、既にほとんどの人に十分食べ物が行き渡っているということが挙げられます。
1996年の世界食糧サミットの際に、FAOは、その年の世界の食糧総生産量で、一日一人あたり少なくとも2700キロカロリーは供給できると見積もっています。
地球上には、全人類を養えるほどの食糧があるのです。
貧しい人々は、メディアが報じるほど、飢えていないのかもしれません。
食料不足は問題にならないのか?
地球上には、全員を食べさせるほどの食糧があります。
では、食料不足は問題にならないのか?と言われれば、そうではありません。
「食べ物がない」という焦りは、一部の人々を極端な行動に走らせることにもなります。
それは、いわゆる魔女狩りです。
穀物の不作が頻発した「小氷河期」に、ヨーロッパでは、魔女殺しが流行しました。
食べ物が無くなったら、一部の人を犠牲にしてしまうのです。
そして、その他の人に食料をまわし、彼らが働いて生き延びられるだけ稼げるようにします。
そうことが「経済的に筋が通ってる」のです。
貧乏な人々が時として、そのような恐ろしい選択を強いられるという現象は、最近でも見られます。
例えば、男子よりも、女子の方が死亡率が高い国があります。
このような国は、旱魃の年に、さらに女子の死亡率が高くなります。
また、家族はそれまで同居していた祖母が魔女だったと気づいて、追放したりすることもあります。
だから、食糧不足は決して問題にならないというわけではないのです。