ジョン・スチュアート・ミルは、少数派の反対意見も大切にするべきだと考えました。
少数派を大事にするべき3つの理由
ミルは、少数派を大切にするべき理由として、3つのことを考えました。
少数派を大切にするべき理由①
少数派を大切にするべき理由の一つ目は、たった1人の反対意見が真理かもしれないからです。
少数派を大切にするべき理由②
少数派を大切にするべき理由の二つ目は、少数の反対意見が間違っていても、話し合ってこそ、「それが間違いだった」と理解できるからです。
話し合って、やっぱり間違いだったと分かっても、話し合ったことには価値があるのです。
思考停止して正しいと信じるより、話し合ってから「正しい」と信じる方が価値があるのです。
少数派を大切にするべき理由③
少数派を大切にするべき理由の三つ目は、反対意見の中にも、真理の一部分が含まれているからです。
このように自由のためには、まともな議論が行える環境が必要です。
議論ができる環境が整っているから、社会を改善することができるのです。
議論が大切な理由
人は、経験と議論をすることで、自分の誤りを正すことができると、ミルは考えます。
経験するだけでは不十分で、議論が大切なのです。
人は、議論をしながら、他者の反論を受け入れて成長していくものなのです。
ただ、勘違いしてはいけないのは、議論の目的は相手を言い負かすことではなく、真理を探すことだということです。
ミルは「判断力」は、筋肉のように、「使わないと衰えるもの」だと考えました。
もし、政府や親が「○○しなさい」 「○○は、してはいけない」と制限をかけていたら、人々の判断力は育ちません。
だから、本当に人間らしくあるためには、私たちは、自由に考え、話せる状態が必要なのです。
ミルが批判した2つのこと
ミルは、「多数者の専制」「無誤謬性の仮定」を批判しました。
多数派の専制は良くない
専制とは、独断で思い通りに処理することです。
多数派の専制とは、多数派による少数派に対する威迫的な攻撃(誹謗中傷)のことです。
世の中には「マイノリティは黙っていろ」と言う人がいるかもしれません。
これは、多数者の専制なのです。
無誤謬性の仮定は良くない
誤謬とは、間違えることです。
無誤謬性の仮定とは、間違ってないことにしようということです。
「間違ってないことにしよう」と考えてしまえば、思考が停止してしまいます。
みんなが同じ意見なんておかしいのです。
時代背景
ミルがこのような主張をした理由としては、人々が学校に通うようになったことが関係しています。
ミルの時代は、労働者が豊かになり、みんなが教育を受けれるようになった時期でした。
学校では、みんなが同じことを学びます。
そのため、世論が同質的になっていったのです。
ミルは、そこに危機感を持ちました。
最後に
ミルは、個人の行動を制限するのは、良くないと考えました。
その人の人生のことは、その人自身に任せるべきなのです。
なぜなら、本人が1番自分のことを分かっているからです。
人はみんな、自分のことは、自分で決めたいのです。
個人の自由を制限するよりも、自由にした方が、天才が生まれます。
個性が発展すれば、人類全体の進歩につながるのです。
ミルが考える自由とは「自分で良いと思う生き方をお互いに許し合うこと」なのです。