なぜ人を奴隷にしてはいけないのか?ルソーの『社会契約論』から学ぶ

ルソー
スポンサーリンク

ルソーは、人は他人を奴隷にする権利を持っていないと考えています。

その理由を見ていきます

ルソーより前の人の考え方

ルソーよりも前は、勝った者は、負けた者を殺す権利を持っていると考えられていました。

また、負けたものが奴隷になることを選べば、殺さないということになっていました。

つまり「相手を殺して良いから、奴隷にして良い」という考え方だったのです。

殺される人が、奴隷になることを選べば、お互いにとって、得になります。

だから、正当な約束だと考えられていたのです。

ルソーの考え方

戦争してるから殺して良いわけではない

戦争をしてるから、負けた者を殺す権利が出てくるわけではありません。

例えば、原始的な生活をしていた頃は、戦争状態を作ることはありました。

しかし、それでも、負けた集団をみんな殺すという考え方にはならなかったです。

人が人を殺して良いのは、戦争しているからではありません。

人が人を殺して良いのは、相手が武器を持っているからです。

降伏した人を殺す権利はない

戦争の目的は敵国を襲うためです。

だから、相手が武器を手にしている限り、相手を殺す権利があります。

しかし、相手が武器を捨てて降伏したら、相手は再び単なる人間になります。

もう敵ではないのです。

そのため、もはやその生命を奪う権利はないのです。

敵と犯罪者の違い

宣戦ということは「今から敵になる」という警告です。

もし、宣戦してなかったり、既に降伏していたりしたら、その人は敵ではないのです。

敵じゃない人からモノを奪ったら、強盗です。

敵じゃない人を殺したら、その人は、犯罪者です。

相手が武器を持っているから、その人は敵であり、殺す対象なのです。

しかし、その人が武器を捨てたら、その人は敵ではないし、敵でない人を殺したら、自分が犯罪者になるのです。

奴隷は不正な取引

人が敵を殺す権利を持つのは、敵が武器を捨てない時だけです。

だから、敵を奴隷にする権利は、敵を殺す権利から生まれるものではありません。

つまり、殺されないために、奴隷になるというのは、不正な取引なのです。

タイトルとURLをコピーしました