ジョン・ステュアート・ミルの思想を漫画でわかりやすく

ミル
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JSミルは『自由論』の中で、守られるべき3つの自由について話しました。

考える自由と、好き嫌いの自由と、団結の自由です。

考える自由

人には、自由に考える権利があります。

そして、それを話したり、出版するのも自由です。

もし、本を読んだ人が、不快になったとしても、本を書いた人に「本を書けないようにする」ことは、許されません。

みんなは、それぞれ自分で発信する自由があります。

自分の耳を塞ぐのはOKですが、他人の口を塞ぐのは、許されないのです。

好き嫌いの自由

次に、好き嫌いの自由についてです。

人間には、自分の性格に合う人生を選ぶ自由があります。

違ってる、変わっていると人に言われても、自分の生き方を選ぶべきである、とミルはいいます。

その理由は、人は、自分で判断する中で、判断力が磨かれていくからです。

他人から正解を教わって生きていると、判断力が磨かれないのです。

団結の自由


人には、団結の自由があります。

ただ、以下の3つを満たしてることが必要です

自己判断で参加したこと

騙されたり強制されたりしてないこと

自己判断の責任がとれる成人であること

自由を守るべき理由

次に、自由を守るべき理由についてです。

①封じられている意見が正しいかもしれない

②間違った意見にも正しい部分があるかもしれない

③当たり前の意見についても議論されることで、理解が深まる

④自由な議論のない社会では、人間の主義主張が育たず人間が成長できない


ミルは「道徳」だと思われているものは、多数派の利益を基準に考えられている、と言います。

みんなが「正しい」と考えているものは、時代とともに修正されて、内容も変わります。

「真理」や「道徳」だと思われているものは、根拠にもとづいている場合でさえ、間違っていることがあるのです。

したがって、「真理」や「道徳」に背く意見も、全て貴重なものとして考えた方がいいのです。

そこにどれだけ誤りや混乱が混ざっていようとも、全て貴重なのです。

また、子どもや女性、社会の少数派の意見を尊重することが社会の発展になります。

少数派の意見を尊重すると、少数派だけが得するのではなく、社会全体が得をすると、ミルは言います。

いつの時代も、少数派は、批判されがちです。

しかし、少数派を潰してしまえば、長い目で見ると、みんなが損をします。

なぜなら、いろんな意見を出して議論した方が、議論が深まって、いい結論がでるからです。

ところで、人は、どうやって「正しい」と判断するのでしょうか?

人は周囲の人や尊敬している人がみな同じ意見である時に、「自分の意見が正しい」と感じます。

つまり、自分ひとりの判断に自信がない分、世間の判断は正しいと考えて無条件に信頼してしまうのです。

これを無謬性(むびゅうせい)の仮定といいます。

「みんなが正しいと言ってたから、正しい」ということです。

しかし、みんなが間違えることもあります。

また、世間の意見だけと聞いてれば良い、と思考を止めてしまうのも問題です。


たしかに、みんなが同じ価値観を持てば、意見の衝突はなくなるかもしれません。


しかし、「変だ」と思われたら、排除される環境では、人は考えることをやめてしまいます。

そのため、多数派の意見だけを尊重するのは良くありません。

多数派だけの意見を尊重するのは、差別になのです。

とはいえ、少数派だけの意見だけを尊重するのも良くありません。

少数派だけの意見を尊重するのは、逆差別になってしまいます。

多数派の意見も少数派の意見も両方とも聞く必要があります。

みんなで、話し合っていく必要があります。

では、私たちはどのように折り合いをつけていけば良いのでしょうか?

「正しいこと」は、ひとつだけではありません。

だから、意見の多様性を認めることが必要です。

個人の自由を守ることで、人類の知性は発展していくのです。

子どもの自由を守ろう

個人の自由は守られるべきです。

しかし、子どもの自由は、守られていないケースが多くあります。

このような家庭内で自由を奪うことに対して、まずは男女平等にするべきです。

しかし、子ども自由を守ることは、より複雑です。

子どもは判断能力が成熟していないため、親の保護が必要だからです。

しかし、大抵の親はこう考えます。

「子どもの生活を管理するのは親の権利であり、それに関与することは個人の自由に干渉することと同じである」

たしかに子どもは親の保護が必要です。

しかし、親は、子どもの自由を制限する権利は無いのです。

そのため、親に問題があるときは、政府は干渉する必要があります。

国は子どもが教育を受けることができているかどうか干渉すべきなのです。

なぜなら、子どもは、自分自身のために判断する能力を持たないことがあるからです。

子どもが自ら選んで、労働することを選んでいるように見える時も、それは、強制されていることがほとんどです。

ミルが『自由論』を出版した1859年ごろの工場法は、9歳以上18歳未満の子どもと女性の労働時間が最長10時間でした。

そんな状況に対し、ミルは、子どもが過度の労働をさせられることがないよう国家が保護するべきだと考えました。

自由が妨害されても良いケース

ミルは自由は大事だと言いました。

しかし、自由といっても「やりたい放題」の自由ではありません。

自由が妨害されても良いケースもあります。

それは、誰かの自由が、他の誰かを傷つける場合です。

盗んだり、利益を独占しようとしたり、名誉毀損をしたりなど、故意に他人を傷つけてはいけません。

他人に害を及ぼしてはいけないのです。

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