ソーシャルビジネスは怪しいのか?私が「思ってたんと違う…」となった理由

自由貿易

私は、ソーシャルビジネスを謳う企業の取引先のバングラデシュの革製品工場で3ヶ月インターンをしました。

そこで感じたことをもとに、ソーシャルビジネスについて考えていきます。

あくまでも個人的な意見であることをご了承ください。

ソーシャルビジネスへの違和感

今回取り上げるソーシャルビジネスは「途上国の労働者たちにゼロから技術指導することで、革職人として自立させる」という内容のものです。

しかし、実際に私が現地で見たのは、機械のボタンを押す労働者の姿です。

貧困層の労働者たちは、技術力を身につけるのではなく、どのボタンをどの順番で押すのかを教わっていました。

また、分業をしており、ある人は糸切りだけを担当し、ある人は糊付けだけを担当していました。

一人の労働者が全ての工程を担当しているわけではなかったのです。

しかし、そのようなやり方では「職人を育てる」ことは出来ないと思いました。

なぜなら、糊付けの仕方だけ上達しても、商品を一人で作ることはできないからです。

私が想像していたのは「職人」が働いている姿です。

「職人」というのは、熟練した技術を持っていて、全ての工程を1人で行うような人のことです。

しかし、実際は、労働者はまるで「機械の一部」として働いていました。

資本主義

その時、私はいかに自分の頭がお花畑だったのかを痛感しました。

そのため今回は、昔の私に向けて、資本主義の話をしたいと思います。

1人で作るのは、効率が悪い

まず、全ての工程を1人で行うのは、効率が悪いという話についてです。

アダムスミスは『国富論』で、分業の大切さを説いています。

分業とは、作業工程を役割分担することです。

例えば、ピンを作るとき、Aさんは針金を伸ばし、Bさんは針金を切断し、Cさんは頭をつけるなど、役割分担をするということです。

分業をすると、1人ひとりの仕事の内容が単純になります。

単純な仕事はマスターしやすく、熟練度が上がります。

熟練度が上がれば、商品を作るスピードも速くなります。

職人が一つ一つ商品を作ると時間がかかりますが、分業をすれば短時間で商品を作れるのです。

そのため、アダムスミスは、国を成長させるためには、分業が大切であると主張しました。

職人を育てるのはコストがかかる

次に、職人を育てるのは効率が悪いということについてです。

まず、職人の定義についてです。

職人とは、自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のことです。

熟練した技術を持っているのかどうかが、普通の労働者と違う点だと思います。

しかし、労働者に熟練技術を身につけさせるのは、時間がかかります。

人を育てるのは、コストなのです。

ましてや、労働者が熟練技術を身につけたとしても、その労働者が自立してしまったら、工場としては損です。

それなら、簡単な仕事を任せた方がいいです。

歯車の一つとして働かせておく方が、いつでも「代わりがいる」状態を作ることができるので、資本家としては、安心なのです。

機械化が必要

次に、生産性を上げるには、機械化が必要ということについてです。

分業が進むと機械化が進みます。

なぜなら、機械が働く方が速いからです。

マルクスは『資本論』の中で、生産性を上げるには、方法は2つしかないと言っています。

労働時間を伸ばすか、機械を導入するかです。

もちろん、お金が無ければ機械が買えません。

今のバングラデシュは、機械を買うより、人の方が安いです。

機械を買ってないのは「人が安いから」です。

しかし、いつかは単純作業が機械によって置き換えられます。

そのため「熟練技術を身につけたら自立できる」というアイディアは、もっと別の視点から考えた方がいいような気がします。

熟練労働者は必要ない

分業をすれば、未経験の人でも商品を作れるようになります。

1人に任される作業が単純になるので、熟練技術を必要としなくなります。

つまり、熟練労働者を雇う必要がないのです。

また、機械化も、熟練労働者にとって、脅威となります。

機械化が進んだ社会では、技術を身につけた労働者なんて必要なくなると、マルクスは言います。

なぜなら、工場が機械化すれば、熟練労働者じゃなくても、商品を作れるからです。

機械化が進むと賃金が下がる

マルクスは、工場が機械化すると、賃金が下がると主張しています。

なぜなら、ボタンを押すだけなら、熟練技術がなくても、子どもでも、力がない人でも、字が読めなくてもできるからです。

こうなると、働きたがる人が増えます。

働きたい人が多いというのは、労働者にとっては、自分の代わりがいくらでもいる状態です。

「未経験者でも働きやすい」というのは、言い方を変えれば「いつでも代わりになる人がいる」ということです。

未経験者でも働きやすい職場は、搾取がしやすいのです。

また、アビジット・V・バナジーとエステル・デュフロは、ロボットの普及度が高い地域では、ロボット一台につき雇用が6.2人減り、賃金も下がったと発表しています。

また、この現象は、製造業でとくに顕著で、高卒以下で、定型的な肉体労働に従事している人が最も影響を受けると判明しました。

仕事が機械化されると、多くの労働者が不要になるのです。

私が働いたバングラデシュの場合は、物価がガンガンが上がっているので、最低賃金も上がっています。

ただ、一般的には、機械化は、労働者の賃金を下げるようです。

考察

以上の理由から、貧困層の人を工場で雇っても、彼らを職人として自立させることはできないと私は考えました。

では、なぜ、ソーシャルビジネスを名乗る人々は、「労働者を職人として自立させてる」という宣伝をしているのでしょうか?

それは、「ソーシャルビジネス」というラベリングをした方が売れるからではないでしょうか?

今の時代は、少し高いお金を払ってでも、途上国のために何かをしたいという素晴らしいお客さんが増えています。

例えば、同じ値段の商品が二つあって、片方がソーシャルビジネスで、持つ片方が普通の商品なら、ソーシャルビジネスの商品の方が売れるのです。

だから、「商品が売れれば、途上国の人のためになる」という見せ方をしてるのではないでしょうか?

しかし、売上を労働者たちが山分けしているわけではないので、商品が売れても資本家が儲かるだけで、労働者に恩恵があるわけではありません。

それに、現地の労働者は「ソーシャルビジネス」という言葉すら知りませんでしたし、「革職人として自立した人」の話は一切ありませんでした。

なぜなら、「ソーシャルビジネス」は、モノを売る時に使うマーケティングの言葉として使われているからです。現地の人にとっては、関係のない言葉になっているのです。

もし、お客さんがこのような事情を知ったら、「どうせソーシャルビジネスなんて人を騙してお金を儲ける事業だ」という疑念を抱くようになってしまうのではないでしょうか?

私が最も恐れているのは「ソーシャルビジネスが怪しい」と認識されてしまうことです。

私が伝えたいのは「ソーシャルビジネス」そのものは、怪しくはないことです。

本当に現地のためを思って、誠実に活動されている方を私はたくさん知っています。

しかし、私がお世話になった職場は、そうではないように見えたのです。

私は、誠実に活動している人たちを応援したいし、誠実な人と一緒に働きたいです。

しかし、「誠実な人」と「そうではない人」を見分けるのは、プロでも難しいのだと思います。

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