金融政策に関する論点の一つに「裁量かルールか」と言うものがあります。
フリードマンは「裁量でやってはいけない」と言っています。
では、フリードマンにとっての「良い金融政策」とは、どんなものなのでしょうか?
詳しく見ていきます。
金融政策
金融政策とは、国にお金を供給することです。
供給の仕方には、2つの考え方があります。
「裁量」か「ルール」かです。
裁量
まず、「裁量で金融政策を行うべきだ」という人の意見を見ていきます。
裁量でやるというのは、金融政策を「人の頭で考えて」やるということです。
「個別のケースを、その都度、取り上げて検討しよう」という考え方です。
フリードマンは、これを「気まぐれにやる」と呼んでいます。
ルール
次に、フリードマンの意見について見ていきます。
フリードマンは、ルールに基づいてやるべきだ、と考えています。
政府や中央銀行の人たちが「なんとなく」でやるのではなくて
ルールに基づいてやるべきということです。
そうすれば、私たちは、政治家の気まぐれに振り回されなくて済むようになるのです。
ルールに基づく金融政策
ルールに基づく金融政策とは、中央銀行が、あらかじめ決めた割合だけ、お金の量を増やしていく金融政策です。
お金を増やすスピードについてルールを決めておくべきだと、フリードマンは言います。
なによりも、まず、金融当局(エライ人たち)の裁量権(気まぐれ)を制限することが、大切なのです。
裁量的に決めてはいけない理由
裁量的に決めてはいけない理由は「人の頭で考えて対応すると、判断を間違えるから」です。
裁量的に決めたい人の意見としては「個別のケースをその都度、取り上げて検討すればいいじゃないか?」というものがあります。
しかし、そのやり方だと、限られた範囲にしか目が届かず、金融政策の全体像が視野に入らないため、不適切な判断を下してしま危険性が高いのめす。
ルールを決めておけば、視野が狭まってる時も、判断をミスらなくなるのです。
喩え話をします
フリードマンは、この話を「言論の自由の議論」に喩えています。
ある人は、ベジタリアンを呼びかけたい
ある人は、共産党を呼びかけたい
そうした時に、「ベジタリアンを呼びかけても良いか?」と質問しても、過半数の人はダメと答えます。
「共産党を呼びかけても良いか?」と質問しても、過半数の人はダメと答えます。
しかし、これらのケースを一括りにして
「言論の自由を認めるか?」と質問すれば
みんな「認める」と答えます。
人は、自分が多数派の時に、他人の言論の自由を奪うのは平気でも、自分が少数派の時に言論の自由を奪われるのは、嫌だと感じます。
人の気持ちは、変わりやすいのです。
人々は「言論の自由を認めるか?」と質問されたら「認める」と答えます。
それは、自分の言論の自由を守るためです。
他人の意見に気に食わないものがあったとしても、自分の言論の自由を奪われる方が怖いのです。
ここから分かることは「個々のケースを見るのではなくて、全体を見る方が、良い判断を下せる」ということです。
木を見るより、森を見るべきなのです。
「何か問題が起きたら、その都度、臨機応変に対応しよう」と考えてる人は、たいてい、上手く判断力を使えません。
なぜなら、問題が起きる頃には、冷静に考える余裕は無くなっているからです。
話を戻します
それと同じことが、金融政策にも当てはまると、フリードマンは言います。
個々のケースを取り上げて、検討する場合には、限られた範囲にしか目が届かず、金融政策の全体像が視野に入らないのです。
そのため、不適切な判断を下してしまう危険性が高いのです。
これに対して、あらゆるケースを網羅的に想定したおおまな個別のルールを決めておけば、ミスが減ります。
だから、ルールを決めて、ルールに基づいた金融政策を行うべきなのです。