校則は、生徒の個性を殺し、画一化します。
しかし、ジョン・スチュアート・ミルは、個性の大切さを訴えました。
人が美しいのは、画一化するからではありません。
人が美しいのは、自分の生まれ持ったものを磨き上げるからです。
この記事では、ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で述べた内容について、見ていきます。
多様性は良いこと
まず、ミルは、多様性は良いことであると主張しています。
なぜなら、多様性がある方が、新たな気づきがあるからです。
「人類が不完全なあいだは、異なった意見が存在することが有益である」と、ミルは述べました。
「この生き方が正解」なんてものはありません。
なぜなら、人類は不完全だからです。
それと同じように、生き方も色んなやり方があって良いのです。
性格に多様性が認められているのと同じで、生き方も多様性が認められるべきなのです。
どんな生き方が良いか、試してみて、何が自分に合うのかを、確かめることが大事なのです。
また、その人が自分に合った生き方を見つけるためには、個性が自己主張する方が良いわけです。
本性を潰してはいけない
ミルは、「本性を潰してはいけない」と主張しています。
ルールに縛られると、人は、本性を失ってしまいます。
だから、ルールで縛り付けすぎてはいけないのです。
本性とは、自分で考えるチカラです。
「自分は何が好きなのか?」「何が自分に合うのか」「何が自分を成長させてくれるのか」などを考えるチカラのことです。
本性を失ってしまった人間は、蒸気機関と一緒だと、ミルは言います。
人間は、機械ではありません。
本性を持っています。
本性があるから、人は自分で自分を磨くことができるのです。
自発性は良いこと
自発性があるのは、良いことです。
自発性があるから、人は自ら成長していくことができます。
自分の理解力を働かせるのは、良いことです。
規則に従う時も、それが規則だから、ということで、規則に従うのではなくて、
考えた上で、規則に従う方がいいわけです。
また、知性を働かせているのであれば、規則から外れても良いのです。
「それが規則だから」という理由だけで、規則に従っているのであれば、その人は、表面的なものしか見えていません。
知性を働かせてる人の方が偉いのです。
規則に従ってる人が優秀なのではなく、頭を動かしてる人の方が優秀なのです。
しかし、規則を重んじる人々は、自発性を警戒します。
生徒が従順になってくれることを望むのです。
しかし、国民のみんなが自発性を失ってしまえば、その国は、発展しなくなってしまいます。
自発性を潰そうとする行動は、国の発展を潰しているのです。
国を発展させるのは「活力」
国を発展させるのは、国民の活力です。
活力を失った人々は、国を発展させるエネルギーを持ちません。
慣習と進歩
先生たちがブラック校則を残したい理由は、それが「習慣」だからです。
一方で、生徒たちがブラック校則を撤廃したい理由は、それが「進歩」だからです
習慣と進歩は、衝突します。
習慣は、あらゆるところで、人類の進歩を妨害すると、ミルは言います。
進歩しようとする人たちは、習慣的なもの以上の優れた何かをめざす意思があります。
しかし、習慣を大切にする人たちは、進歩を志す人たちに、敵対するのです。
衝動について
ここで、規則がある理由について、考えてみます。
規則がある理由は、人の欲求や衝動を抑えるためです。
欲求や衝動は、人間の一部分です。つまり、誰にでもあります。
強い欲求や衝動は、「危険だ」と勘違いされやすいです。
しかし、人々が悪行に走るのは、欲求が強いからではなく、良心が弱いからです。
強い衝動は、強い良心と結び付いています。
そのため、欲求や衝動を抑え込もうとすると、良心も失ってしまうのです。
だから、欲求を抑え込もうとするのではなく、良心を育てるべきなのだと、ミルは主張しました。
東洋の方が深刻
東洋の方が、深刻だと、ミルは言います。
日本や中国などの東洋の国々は、慣習を大切にします。
だから、東洋は、進歩が止まっているのだ、というのがミルの主張です。
東洋では、慣習に従うことが「正義や公正」を意味するのです。
基本的に、東洋の人々は慣習に抵抗しようと考えません。
一方で、西洋は、規則でがんじがらめなのは、一部だけです。
なので、ヨーロッパは、アジアよりマシだ、とミルは考えます。
それでも、ヨーロッパにも、規則で縛ろうとする傾向はあります。
規則に縛られると生きづらい
「今では、人々は、恐ろしい監視の目にさらされて生きてるかのようにして、暮らしている」とミルは言います。
人間に必要な能力は、自分を屈服させる能力だけであるかのように人々は振る舞います。
そんな状況に、ミルは危機感を抱いたのです。
型にハマれない
人が型にハマれないのは、当たり前です。
どんな人間に関してであれ、人間をひな形に合わせて作りあげて良いわけないのです。
なぜなら、自分のやり方で生きるのが、その人にとって最善だからです。
その生き方自体が最善だからということではなく、それが本人の生き方だからです。
最善の人生を生きるより、自分に合う人生を生きる方が良いです。
服も、人生も、自分に合ったものにするべきなのです。
最後に
規則を優先して、個性を潰すなんて、してはいけないのです。
なぜなら、個性を潰したら、国が発展しなくなるからです。
国が進歩するのは、国民が自由に生活できているからです。
自由を大切にしない国は、それ以上は発展できないのです。