マクロ経済学とミクロ経済学の違いをマンガでわかりやすく

経済学入門
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ミクロとマクロの違い

まず、ミクロ経済学と、マクロ経済学の違いについてです。

【ミクロ】とても小さいもの
【マクロ】とても大きいもの

両方とも、経済主体があります。

経済主体とは「登場人物(キャラクター)」みたいな感じです。

ひとつの国には、「企業、政府、家計」の3つの経済主体があります。

ミクロ経済学は私たち個人にとって身近な視点、マクロ経済学は国や地域を含むより広い視点です。

ミクロ経済学

まず、ミクロ経済学は「最適化する個人」を扱います。


「最適化する個人」とは、「トクしたいと考えてる人」みたいな感じです。


人はみんな最適化する個人だと言われています。


最適化とは「一番メリットがある方を選ぶ」という意味です。


例えば、割引されてる商品と、されてない商品があったら、誰でも割引されてる商品を選びます。


みんな、自分のメリットが欲しいと考えています。

しかし、私たちは協力して生きていく必要があります。

そのため、ミクロ経済学では、みんながメリットをもらうにはどうすればいいのかを考えます。

ところでメリットがある状態とはなんでしょうか?

メリットがある状態とは、家計(消費者)にとっては、満足度(効用)を最大化することです。


企業にとっては、「利潤」を最大化することです。

モノを買う人は、安くて質がいいモノを買いたいです。


モノを売る人は、安く作って、高く売りたいです。

人々の共通点は、これです。

・お金を使いたくない
・お金を儲けたい

ミクロ経済学では、これを前提にしています。

マクロ経済学


マクロ経済学は、「国全体」を見ていきます。


マクロ経済学の目標は2つです。

国が経済成長してくれれば、みんなの生活水準が良くなるので、みんな嬉しいです。


できれば、真っ直ぐ右肩上がりで、経済成長してほしいです。


しかし、残念ながら、現実は、そうではありません。


好況と不況が繰り返し起きるのです。

好況の時は急激に物価が上がってしまいます。


一方で、不況になれば、失業者で溢れます。

たしかに長期的に見ると、人々の生活水準は上がっています。

長期的というのは、例えば200年前と今を比べると、今の生活の方が便利です。

しかし、短期的に見ると、ものすごく景気が悪い時もあります。

マクロ経済学では

・経済を成長させる
・失業者を増やさない

これらを両立するには、どうすればいいのかについて考えていきます。

経済学

経済の議論でよくおこる議論はこれです。

自由市場経済は素晴らしいか?


この疑問は、経済学が始まった250年前から、話し合われてきました。


「自由市場経済」とは、一体なにか?


 


自由市場経済とは、自由な経済活動によって取引が行われる市場です。

つまり「勝手にお金を稼いでいい」社会のことです。

自由市場経済の「自由」とは
政府がルールや税金で、規制してこないという意味で、自由です。


また、市場(しじょう)とは、売りたい人と買いたい人が出会う場所です。


市場という場所が実際に東京かどこかにあるわけではなくて、架空の場所です。

自由市場経済は、競争社会です。

例えば、値下げ競争や、品質改善競争が起きます。


自由に取引させておけば、企業どうしは競争してくれます。


そのため、自由市場経済では、お客さんは「より安く、質がいい」商品を選べるようになります。

自由市場経済では、需要と供給の調整が最も効率よく行われ、利益を最大化するとされています。

自由市場経済の賛成派の意見はこうです。

一方で、自由市場経済の反対派の意見もあります。

自由市場経済では、貧富の差が生まれてしまいます。

また、お金持ちの子どもはお金持ちになりやすく、貧しい人の子どもは貧しくなりやすいです。


このように格差が固定化されてしまうのが、自由市場経済の怖い点です。


格差を改善するため、政府が税金やルールを設ける事も必要なのです。

「政府が介入してくる経済」の政府は、大きな政府と呼ばれています。

強い人が弱い人を助けるべきだと考えています。

一方で「自由市場経済」の政府は、小さな政府と呼ばれています。

自分の手柄は自分のものという考え方です。

経済学の起源

 
何かを生み出した人のことを、「〇〇の父」と言ったりします。


経済学の父と呼ばれてる人は、アダム・スミスです。


アダム・スミスは、「利己心は悪ではない」と考えました。


お金儲けをしてる人にとって、アダム・スミスは英雄です。


なぜなら、アダム・スミスが「利己心」を容認してくれたからです。

一方で、平等が好きな人にとっては、アダム・スミスは、冷酷な人だという印象を持っています。


なぜから、アダム・スミスは、ある意味で貧富の格差を容認しているからです。

利己心を容認すると、貧富の差ができます。


利己心が貧富の差を作るロジックは、こうです。

アダム・スミスは、利己心を認めました。

利己心を容認することで、みんなに利益があると主張しています。


アダムスミスが、「人は利己的でOK」と思った理由は、そうした方が、お客さんがいい商品を買えるようになるからです。

例えば

利己的な人は、競争に勝ちたいです。


勝つために、より安く販売します。


値下げ競争が起きれば、お客さんは大喜びです。


このように、利己心を認めることで、頑張り屋さんを増やすことができます。


頑張り屋さんが増えることで、お客さんは、より安くて、質がいい商品を選べるようになるのです。


ということで


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