ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』について書きます
筆者の解釈や印象に残ったことについて書くので、あくまでも個人の意見としてご覧ください
自由主義
ミルトン・フリードマンは、自由主義者です
自由主義とは、個人の自由を尊重して、政府の介入を減らそうとする考え方です
自由主義者にとっての政府
自由主義者は、国が自分に何をしてくれるかを考えません
また、自分が国に何ができるかも考えません
「自分は、政府という手段を使って何ができるか」を考えます
政府という手段を使って、自由を守りつつ、自分で自分の目標を叶えるのが、自由主義者です
自由主義者にとって、政府は、自由を守るために存在しています
しかし、自由を守るためにつくったはずの政府が、自由を破壊する怪物になることが、現実にあります
そのため「自由を破壊する怪物になるのを防ぐにはどうしたらいいか」ということも考える必要があるのです
政府には、権力が集中します
政府が自由を破壊する怪物になる理由は、権力の集中は自由を脅かすからです
政府は個人の自由を守るために必要な道具です
また政府があればこそ個人は自由に生きることができます
しかし、権力が政府に集中すれば、自由にとって脅威になりかねないのです
権力を握った者がはじめは良い心を持っていたとしても、権力は、よからぬ意図を生みやすいのです
政府を活用する方法
政府が自由を脅かすのを防ぎつつ、政府という道具から望ましい成果を引き出すためには、どうしたら良いのでしょうか?
アメリカの憲法には、そのための2つの基本原則が組み込まれています
①制限を設ける
第一の原則は、政府の役割に制限を設けなければいけないということです
政府の仕事は、個人の自由を国外の敵による侵害から守ることに限るべきです
そのために法と秩序を維持します
まぁ、たしかに、個人でやるには難しすぎるようなお金がかかる事業に政府が力を貸すのは、あってもOKかもしれません
しかし、政府をこのように利用するのは、危険が伴います
②権力を分散させる
第二の原則は、政府の権力は分散されなければならないことです
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本当に引っ越す人は、そう多くはないかもしれません
しかし、その可能性があるというだけで、権力の濫用を抑止する効果があります
ですが、国となると、敵対的な国が多い現状では、おいそれと出て行くわけにはいきません
そのため、政府が権力を行使せざるを得ないときは、国よりも市で行使するする方がいいです
政府と経済
政府と経済は、結びついているというのがフリードマンの主張です
人の中には、政府と経済は、結びついていないと考える人がいます
そうゆう人は、個人の自由は政治の問題であり、物質的自由は、経済の問題であると考えます
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だから民主主義的社会主義という考え方もあります
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しかし、それはあり得ないとフリードマンは言います
なぜなら、フリードマンは、経済と政府は、密接な関係があると考えているからです
ある社会が社会主義を選んだ場合、個人の自由の保障に関して民主的にすることはできないとフリードマンは考えました
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経済的自由が、政府的自由を実現するのだそうです
経済活動を調整する方法
経済活動をうまく調整する方法は、2種類あります
①上から命令する
ひとつは、力の強い人が上から命令するやり方です
これは、「専制主義」と呼ばれます
②自発的に交換する
もう一つは、個人が自発的に交換し助け合うやり方です
これは、「市場主義」とか、「資本主義」とか「競争資本主義」と呼ばれます
自発的な交換は素晴らしい
個人が自発的に交換し助け合うやり方で経済活動をうまく調整されるのはなぜでしょうか?
それは、だからお互いに利益がある時だけ交換が行われるからです
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自発的協力を通じた調整が可能なのは、双方が充分な情報を得た上で、自発的に行うからです
経済取引はどちらにも利益をもたらすという場合にのみ行われます
だから、強制しなくとも調節が行われます
自発的な交換を通じて成り立つ社会を動かすのは、一言で言えば「自由な民間企業による交換経済」です
それぞれの個人は、自分のためだけに作るという選択肢もあります
そのため、利益をもたらさない交換をする理由はないのです
だからお互いに利益がある時だけ交換が行われます
自発的な交換は自由がある
交換の実質的な自由が維持される限り、経済活動が行われる市場では、ある人が別の人の取引を邪魔することはまずできません
それが市場経済の最大の特徴です
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市場は、これらの調整を、自動的にやってくれるのです
誰か力が強い人が、調整に入らなくても、勝手に調整されるのです
だから、政府が間に入って調整しなくても大丈夫なのです
政府の役割
「政府は介入しなくて大丈夫」だと、フリードマンは考えました
しかし、「政府が必要ない」と考えたのではありません
政府は、以下のようなことをしてくれているからです
法と秩序を維持する
財産権を明確に定める
財産権を含む経済のルールを修正できるようにする
ルールの解釈をめぐる紛争を仲裁する
契約が確実に履行される環境を整える
競争を促す
通貨制度の枠組みを用意する
技術的独占に歯止めをかける
政府の介入が妥当と広く認められるほど重大な外部効果に対処する
狂人や子どもなど責任能力のない者を保護する
これだけのことをしてきた政府は、今後も重要な役割を果たします
しかし、政府は必要ですが、あくまでも個人の自由を「守る」ために必要です
政府が個人の自由を「侵害」するようになったら、良くないのです
教育における政府の役割
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私が子供に教育を受けさせれば、民主的で安定した社会の実現に手を貸すことになるため、他の人も得をします
しかし、この時、どこの誰が得をしたかを調べ上げて教育費を請求するというわけにはいきません
だから、政府が介入してOKなのです
資本主義と差別
自由主義を採用すると、差別されがちな少数派の人に利益があります
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また、自由主義を採用すると、差別をする人には、不利になります
なぜなら、特定の人種からモノを買ったり一緒に働くのは嫌だという人は、選択の幅を自ら狭めているからです
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この人は、さらに高いモノを買う羽目になるかもしれないし、高賃金の仕事が見つからないかもしれません
逆に、人種こだわらない人は、安く買えることになるのです
相続
人の中には、生まれつき持っている才能の不平等と、生まれつき持っている財産の不平等は違うと考える人がいます
そのような人は、財産の不平等は腹立たしいが、才能の不平等は致し方ないと考えます
しかし、親から才能を受け継ぐ人がいるのだから、親からお金を受け継いでも、良いのではないかと、フリードマンは考えます
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お金持ちの親が子どもに資産を残してやりたいと思ったら、いろいろなやり方が可能です
例えば、資産を教育費に投じて、高収入が得られるような教育を受けさせることや
事業をおこして、跡を継がせることができます
しかし、今の世の中では、相続財産による収入「だけ」不当だと考える人が多くいます
自分の能力や才能で生み出した富は好きにして良いし、自分が築き上げた富が生む利益も好きにして良いのに
富を子供に譲るのは認められないというのは、辻褄が合わないのだと、フリードマンは考えました
自分の所得を湯水のごとく使い果たすのはいいが、かわいい娘や息子のために与えてはいけないというのは、納得ができないという意見です
自由主義
自由主義が根本的に恐るのは、権力の集中です
ある人の自由が他の人の自由を妨げない限りにおちて、個々の人の最大の自由を守ることを、自由主義者は目指します
この目標を実現するためには、権力の分散が必要だというのが、自由主義者の考えです
市場を通じて、できることを政府がやっているとしたら、疑ってかからなければならない
そこでは自発的な協力に変わって強制的に行われるのが常です
政府の役割が拡大すれば、他の分野でも自由が脅かされなねないのです
自由と平等は、対立する
自由主義思想の根本にあるのは、個人の尊重です
自由主義では、各自が自分の考えに従ってその能力と機会を最大限に生かす自由を尊重します
そしてこの時、他人が同じことをする自由を阻害しないことを条件とします
自由主義者は、権利の平等・機会の平等と、物質的平等・結果の平等との間に厳然と一線を引いています
自由な社会が他の社会より多くの物質的平等をもたらすのは喜ばしいことですが
自由主義者にとってそれはあくまで自由社会の副産物であって、自由主義を正当化するものではないのです
自由と平等を促進するような政策こそ、自由主義者にとって望ましいです
ここまでは平等主義者も同じです
しかし、平等主義者は、さらに一歩を踏み出しています
彼らが、「誰かから取り上げて別の誰かにあげる」ことを認めるのは、目標を達成ふるための効率的な手段だからではなく、「正義」だからなのです
このとき、平等は、自由と対立します
ここでは平等か自由かのどちらかしか選ぶことができません
この意味で、自由と平等は、両立できないのだとフリードマンは考えます