儒教思想がなぜ男尊女卑の元となったと言われているのか

政治/経済
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孔子を始祖とする儒教は、男尊女卑の元となったとも言われています。

なぜそのように言われているのかを見ていきます。

君主と小人

孔子は、人間を「君子」と「小子」に分けました。

君主とは、読書人、士大夫階級のことです。

一方で、小人とは、手工業者、庶民、農民、家内のことです。

また、孔子は「女子も養い難し」と女子も小人の方に仕分けしました。

この君主と小人は、「頭を使う」と「力を使う」

との違いですが、階級意識がより強くあるそうです。

「義」について

儒教では、「義」という言葉があります。

これは、上下関係を説明する言葉で、差別を肯定する考え方でもあるそうです。

例えば、兄の方が弟より上であるとか、夫の方が妻より上であるなど、人と人の間の差別の道が義になると考えられているのです。

兄は兄らしく、弟は弟らしく、男は男らしく、女は女らしく、というそれぞれの役割を果たすのが「義」なのです。

また、兄に従うとか、歳上を尊敬するべきなどと

規定した上で、これこそ「人間としての道である」と述べています。

私たちが慣れ親しんでいる礼儀というのは、歳上だけに利益のある考え方なのです。

「利」について

孔子は、利益を追求するべきではないと考えます。

人欲を抑えて、利と対決しなければならないと考えたのです。

人は「生きたい」という欲求があります。

しかし、孔子は自分を犠牲にしてでも「義」を守るべきという考え方をしています。

また、孔子は「君子は義に悟り、小人は利に悟る」と説きました。

創造性の否定

儒教は、新しいアイデアを出すことを否定しています。

孔子は、自分で実験したり、考えたりすることを嫌いました。

自分で考えることはせずに、「真似ること」や「稽古」が大切にされていました。

さらに、考えること自体が無駄だと考えられていました。

孔子が大切にしたのは、読書です。

本の中の「先例」から、アイデアを得ることができないと考えられていました。

そのため、新しいものが生まれにくくなり、人々の創造性が育たなくなってしまいました。

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