JSミルは、『自由論』の中で、異端な人が国を発展させる活力を持っていると主張しています。
この記事では、『自由論』を読んで思ったことを書いていきます。
常識
常識をかざす人は、他人から言われたことを、伝言してるだけで、本人の頭で考えてないとミルは言います。
常識を他人に押し付ける人は、伝言をしているだけなので、その人の能力が磨かれているわけではないのです。
例え、彼らの意見が正しいかったとしても、自分自身で考えて、その考え方に至ったわけではありません。
このような、ただ他人から言われたことを、他の人に伝言してるだけの人は、人類を進歩させないと、ミルは言います。
常識を疑う人
常識を疑う人というのは、きちんと研究し、準備した上で、自分自身で考えている人です。
彼らは色んなアイディアを出すため、時には間違えることもあるかもしれません。
それでも、自分で考えて、行動する人が、真理に近づいていける人であり、人類を進歩させる人なのです。
反論
この主張を聞いた人の中には、次のような反論もあるかもしれません。
「人々は、常識を教えてもらえれば、それで良いのではないか?」
常識というのは、今まで誰も反論してこなかったから、常識なわけです。
そのため、常識という答えを「教えてもらえれば十分だ」という考え方もあります。
ミルの考え
これに対して、ミルは、「誰も反論してないから、自分も反論しない」という考え方は良くないと主張しています。
ある意見に対してこれまで反論がなかったとしても
それを理由に、常識に従うのであれば、それは、オウム返しに語られているだけです。
常識は、たしかに真理を受け継ぐ言葉かもしれません。
しかし、もし、自由な討論をしていないのであれば、人々は、その常識の本当の意味については、無知です。
意見の根拠ばかりではなく、意見の意味そのものまで忘れ去られてしまうのです。
オーム返しがダメな理由は、意見を伝える言葉が「思想を伝えなくなる」からです。
機械的に暗記された言葉だけが残ってしまうのです。
その言葉は、表面の殻だけであり、肝心なところは失われているのです。
常識を最初に作った人は、何か想いがあったかもしれません。
しかし「それが常識」というようになると、その言葉に活力がなくなっていくのです。
なぜなら、人々は、常識を鵜呑みにしてるだけで、自分で選び取ったわけではないからです。
人々が、ただ黙って従うだけになると、活力が衰退し始めるのです。
国を発展させる人
国を発展させる人とは、自分の頭で考える人です。
そして、別の主張からその主張に乗り換える人です。
人は、主張を乗り換える時に、活力が溢れるのです。
自分で考える人が少ない理由
自分で考える人は、自分が思いついた意見を「常識外れ」と言われたとしても、公平に考えることができます。
思いついたアイデアが「常識」とは違ったとしても、自分の考え方をブラッシュアップしていっています。
自分で自分を成長させることができます。
しかし、現実の世界では、自分の頭で考えて行動できる人は少ないです。
その理由は、常識に反論する人は、矢面に立ちやすいからです。
人は、反論されたら、不快になるのが普通です。
アイデアが新しいほど、人はその意見に不快感を抱く傾向にあります。
また、その議論に強い感情がある人は、喋る時に、押しが強くなりがちです。
だから、周りの人から見ると、敵に見えるのです。
攻撃されている側が不快になるかどうかを基準にすると、新しい意見や、強い想いが乗った意見ほど、拒絶されてしまうかもしれません。
たしかに、正しい意見であっても、言い方が良くない時もあります。
意見の言い方に問題がある場合は、非難されることが多いです。
とはいえ、人は意見を主張して、相手のリアクションを見ながら成長します。
なので、「他人のことを不快にさせてはいけない」とルールを作ってしまうと、成長ができなくなってしまうのです。
「不快感を与えてはいけない」と、お互いを叩き合う社会では、人々の脳が萎縮してしまいます。
不快感を与えない努力は必要ですが、「不快」という理由だけでは、他人を叩いてはいけないのです。
受け売りで決まり文句を言ってるだけの人
むかし、ソクラテスという人がいました。
この人は、「無知の知」という言葉で有名です。
ソクラテスは、今では有名人ですが、当時は嫌われていました。
その理由は、いつも誰かに議論をふっかけていたからです。
ほとんどの人は、ソクラテスからの質問に答えることはできなかったそうです。
なぜなら、みんな世間で受け入れられている意見の決まり文句を口にしているだけだったからです。
そのため、ソクラテスは、世の中の人々が喋ってる言葉を、本当は自分で理解してないということに、気づいてもらおうとしていたのです。
常識はずれな人を叩いてる人たちは、新しい意見に触れるチャンスが少ないです。
しかし、自分とは違う意見を持った人との議論に触れることで、世の中の真理がより分かるようになる、とミルは主張しました。