政府とは
政府とは、ただの道具であるとフリードマンは考えます。
「国が人のために何をするのか」を考えたり、「人が国のために何をするか」を考えるのは、自由がなくなってしまいます。
「政府が保護し、国民が保護される」という考え方は、自分の責任で、生きることが出来ていません。
また、「人が国のために何かをする」というのは、国家が主で、国民が下僕だと考えてるみたいです。
国家は個人の集合体に過ぎません。
政府とは、助けてくれる優しい保護者じゃないし、敬い仕えなければならない主人でもないのです。
政府には、力が集まりやすいです。
そして、政府に権力が集まりすぎると、自由が失われます。
もし、良い人が権力を握れば安心ですが、悪い人が力を握ってしまったら、怖いです。
また、権力を握った人が始めはいい人だったとしても、悪い人になるかもしれません。
それに、権力は、磁石のように悪い人を吸い寄せるのです。
新自由主義では、政府は、成果を上げるためのただの道具です。
「政府が自由を脅かすのを防ぎつつ、政府という道具を使って、成果を上げるには、どうしたらいいか」を考えていく必要があるのです。
市場とは
市場とは、売り手と買い手が出会う場所のことです。
市場は、国民が自由に競争しながら、取引する場所です。
売り手と買い手が、お互いに自発的に売買をする時、その取引は、お互いにメリットがあります。
メリットがない時は、交換は行われません。
売買する相手は、選ぶことができます。
欲しいものは他からも買えるので、特定の売り手からどうしても買わなければならないということはありません。
逆に売り手は、買ってくれるお客さんは他にもいるので、特定のお客さんに、どうしても買ってもらう必要はありません。
労働者は、雇ってくれる会社は他にもあるので、特定の会社にしがみつく必要はありません。
市場経済は、一人ひとりが実際に望むものを与えるのです。
自由とは
自由じゃない状態とは、強いチカラを政府に持たせて、上から命令するやり方です。
一方で、自由な状態とは、個人が自発的に交換し、助け合うやり方です。
アメリカの憲法には、自由を守るための二つの基本原則が組み込まれています。
第一の原則は、政府の役割に制限を設けなければいけないということです。
政府の仕事は、個人の自由を国外の敵や同国民による侵害から守ることだけです。
第二の原則は、政府の権力は、分散されなければならないということです。
つまり、国が全てを決めるのではなく、それぞれの町で決めた方がいいということです。
なぜなら、ルールが気に食わない人は、町を出ればいいからです。
自由を守るためには、政府の権力を制限して、権力を分散することが必要です。
自由を守ることとは、権力の集中を恐れることなのです。
反論
反論意見としては、「人を自由にしたら、悪いことをするかもしれないと」という心配の声もあるかもしれません。
しかし、それぞれの人が、自分の自由を使って何をするかは、個人が決めればいいです。
大きな政府は、倫理を社会が決めます。
一方で、小さな政府は、倫理を個人で決めるのです。
新自由主義者は、自由をどう使うかは、個人の倫理観や価値観に委ねるのです。
個性と才能を活かせる社会へ
「ゲームのルール」を決める議論の場として、また、決められたルールを解釈する場として、政府は必要です。
しかし、多様性を活かすためには、自由が大切なのです。
自由があれば、自分が少数派だったとしても、多数決に従う必要がありません。
自由のためには、政府という道具が必要です。
でも、国家が自由を奪う時があるので、それは気をつける必要があるのです。