毒を買う自由について『自由論』から考える

JSミル

この記事では、JSミルが毒を買う自由について言及した部分を解説します。

犯罪のために使う場合

誰かが明らかに犯罪を行う準備をしている場合は、犯罪の予防のために干渉していいと、ミルは言います。

目撃者は、犯罪が行われるまで何もせず傍観していなければならないわけではありません。

犯罪を予防するために干渉して良いのです。

犯罪の可能性があるだけの場合

犯罪の可能性があるだけの場合は、干渉しすぎるのは、危険であると、ミルは考えます。

もし、毒薬が「犯罪のためにしか使われない」ということが分かっているなら、毒は禁止されるべきです。

しかし、毒薬は、犯罪とならない有益な目的のために必要になる場合があります。

そして、難しいのは、犯罪で使うのか、有益な目的のために使うのかが、区別をつけられないことです。

「殺人目的なら禁止して、犯罪じゃない有益な目的に使うなら許可をする」ということをしたいのですが、見分けるのができないのです。

また、もし警察に多くの権限を与えると、警察のチカラが強くなりすぎてしまいます。

「トラブルの予防のために毒を取り締まって良い」としてしまうと、警察がその権利を濫用する恐れがあるのです。

この問題には「警察はどこまでチカラを持っていいのか?」という新しい論点があります。

つまり、犯罪や事故の防止のために自由をどこまで制限されて良いのか、という問題なのです。

警察の仕事は、犯罪が行われた後に犯人を捜し出して処罰することです。

しかし、犯罪を予防することも、警察の仕事なのでしょうか?

ミルは「予防の仕事は、市民の自由を侵害する可能性が高い」と言います。

例えば、ハサミを買っただけで、警察に捕まるような社会は、大変です。

たしかに、ハサミを持っていれば、犯罪行為をやりやすくなるかもしれません。

しかし「犯罪の予防のため」という名目で、ハサミを買う自由すら奪われると、生活が不便になってしまうのです。

有益な目的のために使う場合

毒薬が有益な目的のために使われる場合は、私たちは、その人に干渉すべきではありません。

なぜなら、危険を冒す覚悟が十分にあるのかどうかの判断は本人にしかできないからです。

被害に遭わないように力ずくで本人を制止する、と言ったことはすべきではないのです。

妥協案としては、例えば、危険性のあることを示す注意書を薬品に貼ると言った予防策は、義務付けても自由の侵害になりません。

なぜなら、購入者が自分の購入したものに毒性があることを知らずにいたいと思っているのは、あり得ないからです。

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