労働とは
人は、他人に承認してもらいたいという意欲のもと、労働するものです。
働く中で、人との繋がりを感じるのです。
人の労働は本来、人が共同的な存在であることを確認する作業なのです。
労働は個性を失う
しかし、資本主義社会においては、自分らしく働けません。
資本家主義の中では、労働は、個性を失ってしまうのです。
労働とは、本来、自己実現だったのですが、資本主義社会では、まるで機械の一部のようになってしまいます。
これが疎外された労働です。
なぜそうなったのでしょうか?
生産物と商品
まず、生産物と商品の違いについてです。
生産物は、そのままでは商品になりません。
生産物は、交換されて、初めて商品となるのです。
例えば、ミツバチは、ハチミツを生産します。
しかし、他の商品と交換しません。
つまり、ミツバチの社会には、生産物はあっても商品はないのです。
物は交換されることで初めて商品となります。
富
資本主義が広がる前は、富とは、自然の恵みでした。
自然の森に生えている山菜や海にいる魚が、そのまま富になったのです。
しかし、資本主義では、「富=商品」です。
資本主義は、商品が溢れた社会なのです。
使用価値と交換価値
次に、使用価値と交換価値についてです。
モノの価値には、使用価値と交換価値があります。
使用価値とは、服ならオシャレとか、暖かいということです。
食べ物なら、美味しいとか、栄養があるということです。
交換価値とは、それが市場で、いくらで取引されるかということです。
家族のために服を作ったら、生産物は、使用価値のみをもち、商品にはなりません。
しかし、交換をされると、交換価値を持ちます。
資本主義では、最初から交換価値を目的とした商品を生産する労働が広がります。
労働疎外
労働疎外とは、労働の喜びが奪われ、労働が疎外されたものになるということです。
疎外とは、人間が作った物が人間自身から離れ、逆に人間を支配することです。
本来なら、労働者が成果は、労働者のものになるべきなのに、資本主義では、資本家に占取されてしまいます。
それをマルクスは、労働者の労働生産物からの疎外と呼びました。
生産物は、資本家の所有になるので、労働者は、機械を動かすだけの虚しい存在になってしまうのです。