自分の意見を言ってはいけないのか?意見を言っただけでトラブルになってしまう理由を異文化理解の観点から考える

異文化理解

あくまで一つの意見として、自分の意見を言っただけなのに、相手を怒らせてしまったという経験は、多くの人にあると思います。

なぜ、率直に意見を言っただけで、トラブルになってしまうのでしょうか?

エリン・メイヤーの『異文化理解力』を参考に、考えていきます。

対立型と対立回避型

文化には、対立型と対立回避型と呼ばれる指標があります。

日本は、対立回避型の文化だと言われています。

一方で、対立型の文化を持っているのは、ヨーロッパやイスラエルなどです。

この二つの文化は、経験に対する解釈の仕方が違うのだそうです。

率直に話す

ヨーロッパなどの対立型の文化では、率直に話すことは、相手へ好意を示します。

率直に話すというのは、相手が気づいていないポイントを指摘してあげるという事なので、相手にメリットをもたらす行為なのです。

ネガティブフィードバックを与えるのは、責めてるんじゃなくて、改善のチャンスを与えてるだけなのです。

相手をプロとして認識してるから、素直に意見を言うのです。

一方で、アジアなどの対立回避型では、率直に話すだけで、相手は、否定されたと受け取ってしまいます。

彼らは、他人の意見を、一つの意見として聞くことはできないのです。

しかも、対立回避型は、相手に意見を聞くだけで、対立的に感じる文化です。

例えば「君はこれについてどう思う?」と聞くと聞くだけで、相手はうろたえるのです。

曖昧に話す

対立型の国では、曖昧に話すと、話が相手に伝わりません。

例えば、「悪くなかったよ!でも、ちょっと気になることがあったかもしれない。でも小さいことだから、あまり気にしないで」という言い方をされたら、自分の仕事がほとんど完璧だったのかと感じます。

しかし、そうやって曖昧な言い方をする人は、陰で愚痴を言ったりするものです。

このように、陰口を言うというのは、対立型の人にとっては、裏切りに感じる行動です。

一方で、対立回避型の文化では、曖昧に伝えることが美徳とされます。

対立回避型の文化の人は、相手を否定する時は、その意見を小さく見せようとするのです。

 

オブラート

対立型の文化では、オブラートに包んだ言い方をあまりしません。

むしろ意味を強める単語を良く使います。

「これは、間違いなくあなたの責任だ」

「これは、絶対におかしい」

このような言い方をするのです。

一方で、対立回避型の文化では、批判を和らげる言葉を使います。

「たぶん」

「すこし」

「かもしれない」

などの言葉を使います。

実際には、強い気持ちを持っているのに、感情を抑えて、できるだけ穏やかに話をするのです。

メッセージ

対立型の文化では、「何を言っているのか」だけに注目すればOKです。

一方で、対立回避型の文化では、「何を意味しているか」に注目する必要があります。

発言の裏にあるものを読み取ろうとするのです。

例えば、ネパールでは、国語の問題に「言葉の裏の意味を答えなさい」という出題があるそうです。

日本にも、「筆者の気持ちを答えなさい」という問題があると思います。

このように「何を意味しているのか」を理解できるのが、「優秀な人」として評価されるのです。

優しい嘘をつくこともあるから、言葉をそのまま受け取ってはいけないのです。

そのため、相手の本音を引き出すような質問をする必要があります。

また、どんな表情で話しているのかを観察する必要がある時もあるのです。

また「このプロジェクト、来週までに終わる?」と聞くと「最善を尽くします」といった曖昧な返事が返ってきます。

この言葉は、できないことを意味しています。

しかし「できない」とハッキリ言わないのです

議論か面子か

対立型の文化では、オープンに自分の意見を言うことが大切にされます。

意見の食い違いは、素晴らしいものと捉えられています。

なぜなら、意見の食い違いは、創造性を増やすからです。

一方で、対立回避型の文化では、反論をされると「面子を失う」と考えられています。

人前で恥をかくということなので、面と向かって反論されると不快に感じるのです。

相手の面子を守ることの方が、自分の意見を言うことより大切なのです。

反論

対立型の文化では、反論は、あくまで意見に対しての否定になります。

その人が嫌いとかではないのです。

彼らは、人格と議論を切り離して、コミュニケーションを取ります。

彼らが反論をするのは、議論に関心を持ってる証拠なのです。

反論されたとしたら、議論が盛り上がっているということです。

一方で、対立回避型では、反論は、相手の人格否定として受け取られる傾向にあります。

アイディアの否定と人格否定は、強く結びついているのです。

 

アイディアを否定したら、相手の人格を否定してると伝わります。

対立回避型の人たちは、相手を攻撃したいときに、強い言葉で反論をします。

反論をすることを「怒ること」と受け取るのです。

これの解決策としては、言い方に気をつけるというやり方があるかもしれません。

自分の意見を言う前に、「もしかしたら、私たちは、もう少し別の考え方もできるのではないでしょうか?たぶんですけど、どう思いますか?」

といった言葉を挟むのです。

このようにして「攻撃してる」と言う印象を消していくのです。

同情

対立型の人は、同情されると、単なる誤魔化しに聞こえてしまい、やる気が失われます。

同情なんてされたくないのです。

一方で、対立回避型は、意見が食い違うことを「悪」と捉えます。

そのため、自分と違う意見に出会うと、同情をします。

または、同情をしてるフリをするのです。

同情するフリなんて面倒くさいと感じる人もいると思いますが、そうしないと「冷たい人」と評価されるのです。

また、自分の意見を言う時は、「個人的な意見です」と言っておきながら、相手に同情を求める傾向にあります。

ネガティブ・フィードバック

対立型は「言葉で」相手にネガティブ・フィードバックを伝えます。

対立型の国では、フィードバックは、その場ですぐに行うのが普通なのだそうです。

また、彼らは、意見をぼかすことを好みません。

しかし、対立回避型の人々は、「話を触れないようにする」だけで、それが欠点なのだと伝わります。

良い点は伝えて、悪い点には触れないようにするのです。

「話を触れない」だけで、「それは悪いもの」ということが伝わるのです。

このようにして、言葉を使わずに、メッセージを伝えるのです。

もし、ネガティブなフィードバックを言葉で伝えると、伝えたメッセージは、彼らの頭の中でとても誇張されてしまいます。

だから、ネガティブなフィードバックを伝える必要がある時は、飲み会に誘うのです。

なぜなら、お酒を飲みながらネガティブなフィードバックを聞いたら傷つかないからです。

好きな人と嫌いな人への対応

対立型の人たちは、好きな人とは何でも分かち合いたいから、欠点も指摘します。

しかし、嫌いな人がいたら、距離をとります。

一方で、対立回避型は、好きな人には、欠点があっても目をつぶります。

そして、嫌いな人がいたら、相手を傷つけるために欠点を指摘するのです。

解決策

対立回避型と一緒に働く時は、相手を真似すればOKです。

「ちょっとした提案ですが」や「役に立てれば思って」などの相手の口癖を、真似すれば、上手くことが多いです。

一方で、対立型と一緒に働く時は、相手を真似してはいけないと思います。

なぜなら、失礼じゃない範囲で意見を言えるのは、その文化の本人たちだけだからです。

対立型の人は、言葉がトゲトゲしています。

それでも、彼らなりに「失礼・失礼じゃない」の線引きがあるのです。

しかし、その線引きを理解せずに、ただ彼らの口癖を真似をしてしまうと、トゲトゲ度合いが、行き過ぎてしまうのです。

攻撃的な人が近くにいるからと言って、自分も攻撃的になると、自分の評価が落ちてしまうかもしれません。

そのため、批判されたとても、その攻撃的な言葉遣いを真似してはいけないのだと思います。

筆者の意見

文化が違う人と働くと、いろいろ摩擦があると思います。

しかし「普通ならこうだよね」という多数決を取るのではなくて

「私はこうゆう性格だけど」

「あなたはそうゆう性格なんだね」

というように、一人一人の性格を理解する方が、お互いのストレスが少ないのかな、と私は考えています。

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