過干渉は、愛情ではありません。
では、過干渉と愛情との違いは何でしょうか?
この記事では、ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で述べた内容について、見ていきます。
正解を教わると衰える
子どもは、正解を教わり続けると、能力が衰える、とミルは主張しています。
他の人がしているからという理由で同じことをしても、知性が磨かれないのです。
それと同様に「他の人が信じているから信じる」という場合も、知性は磨かれません。
大事なことは、本人が納得したうえで、行動しているかどうかです。
本人が納得しないと、その意見を取り入れても、表面的なことを真似することしかできないのです。
人は、「選択」をする中で、考えるチカラが磨かれていきます。
何も選択をしないで生きている人は、知性が磨かれていないのです。
大事なことは、「見分けるスキル」を磨くことです。
何が「善」で、何が「悪」なのか、自力で判断しないといけないのです。
正解を教わると、見分けるスキルが育ちません。
見分けるスキルを磨くという点では、何の練習にもならないのです。
もし、言われたことしか、やらせて貰えないのであれば、猿真似の能力しか身につかない、とミルは言います。
そもそも、2人以上の人がいたら、意見が食い違うのが普通です。
いろんな考え方がある方が良い状態なのです。
しかし、人々は、他人と同じ意見を持ちたがります。
だから、「常識」という軸を作って、それに当てはらない人を罰すると言うやり方をします。
それをする理由は、そうした方が意思疎通が楽になるからです。
しかし、そうやって「異端になることへの恐怖」が広がっていけば、精神が締め付けられて、価値があるものが生まれなくなるのです。
自分で判断することが大事
知力や道徳的な能力は、筋力と同じです。
使うことで、鍛えられます。
正解を教わるのではなくて、自分で判断することが大事です。
正解を教わるより、自分で気づく方が価値があるのです。
正解を教わり続けたら、知力や道徳的な能力は衰えます。
人は、自分の感情が前向きに動く時に、力強く活発な性格になります。
本人がやりたくないのに、無理矢理やらされてる時は、その人の性格は、弱々しくなるのです。
自分の人生のあり方を、自分自身で選ぶ人は、自分の能力の全てを駆使します。
自分で判断すると、これらの能力が鍛えられます。
もし、最初から、正解を教わっていたら、これらのスキルは磨かれないのです。
反抗は悪ではない
反抗は悪ではないと、ミルは主張します。
反抗とは、自発性です。
自分の頭で考えて、自分が正しいと思った道を貫くことを「反抗」と言います。
しかし、親は、反抗を警戒します。
つまり、親は、自発性を警戒しているのです。
しかし、ミルは、「反抗は悪ではない」と主張しています。
自分を守るために、反抗は必要なのです。
なぜなら、親のやり方が、子どもに合わない時もあるからです。
誰だって、自分に合う人生を送るべきです。
自分に合わないものを押し付けられたら、拒否していいのです。
なぜなら、人には自分の性格に合った人生を設計する自由があるからです。
常に親の言葉に従うだけの生活をすると、子どもの性格は不活発になると、ミルは言います。
本人がいきいきと生活するために、本人が決めた生き方を、周りの人は許すべきなのです。
なぜなら、その人の個性を打ち砕いてしまうと、その人の性格を弱々しくさせてしまうからです。