貧しい国での不思議な協力関係【貧乏人の経済学】

貧富の格差

今回は『貧乏人の経済学』の中から、貧しい国での不思議な協力関係について紹介します。

私は、マレーシアで生まれ、日本で育ち、バングラデシュへ留学した経歴があるので、その経験をもとに共感できたものを紹介します。

助け合い

貧しい村では、ほとんどの人は近隣に住んでいて、お互いのことをよく知っています。

 安い土地は、ひどいモンスーンが時は、洪水で沈んでしまうような地域もあります。

そのため人々は、洪水が起きたら、避難や復興作業は、お互いに手伝い合いながら行います。

お金の貸し借り

他にも、失業して、一時的に食いつながないといけない時も、村人はお互いに助け合います。

困ってない人が、一時的に困っている人を助けるのです。

助けるというのは、何かを手伝ったり、お金を貸したりすることです。

誰かが困っている時に助ければ、自分が困った時に助けてもらえるからです。

立場が逆転した時も助け合うことで、みんなが得をするようになります。

助け合いは慈善にならずにすむのです。

また、お金の貸し借りは、相手がどれくらい困っているかによって、金額が変わります。

お金を借りた人が、本当にお金に困っている時は、お金を返す時の返済額が減ります。

でも、貸し手の方が打撃を受けた場合は、借り手は自分の借りより多く返済するのです。

お互いに貸し借りすることで、個人のリスクを減らしているのです。

病気

一方で、例外もあります。

誰かが病気になった場合は、あまり周りの人からの協力を得られません。

病気は長期的に続くので、周りの家族がそれをサポートし続けるのは難しいのです。

例えば、一家が不作に見舞われたり、誰かが失業したりすれば、村の他の家族が助けに来てくれます。

プレゼントをもらったり、お金を貸してもらえたりします。

しかし、病気に苦しんでいると、そうはなりません。

「代わりに治療費を払い続けてあげる」と名乗り出るのは、あまりに勇気が必要です。

代わりに、ちょっとしたプレゼントをあげる事はあります。

例えば、インドネシアの家庭では、100万ルピアの借金を抱えた両親に、80万ルピアのテレビをプレゼントした娘がいました。

その土地で調査をしていた人が「なぜ、それを現金で与えないのか?」と質問すると、借金の肩代わりは荷が重すぎるからという趣旨のことを答えました。

もし、お金をもらえるのが確実なら、相手に怠ける誘惑が起きてしまうかもしれません。

あるいは、困っていないのに、困っていると主張するかもしれません。

かなり貧乏な人ですら、自分が十分に食べれている時に、そうでない家庭を見かけたら手持ちを分け与えます。

しかし、病院代を払うとなると、度の超えた行為になります。

入院は高くつくので、多くの世帯がお金を出し合わなければなりません。

親切はするけど、自分の手に余るものには、手を出せないのです。

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