金融の自由化
1994年に、金融が自由化されました。
これによって何が変化したのでしょうか?
銀行が自由化したことにより、銀行は、日本銀行からお金を借りなくなりました。
代わりに、銀行は銀行からお金を借りるようになりました。
公定歩合とコールレート
公定歩合もコールレートも、両方とも「金利」の名前です。
お金を借りたら、多めに返します。
この多めに返す分のことを、「金利」と言います。
日本銀行から借りる時の金利を公定歩合と言います。
銀行から借りる時の金利をコールレートと言います。
公定歩合とは、日本銀行が銀行にお金を貸す時の金利です。
一方で、コールレートは、銀行が銀行にお金を貸す時の金利です。
金融の自由化をする前は、公定歩合が大きな存在でした。
しかし、金融が自由化した後は、コールレートが大きな存在になりました。
預金金利
次に、預金金利について説明します。
預金金利とは、銀行から国民(人)にお金を貸す時の金利のことです。
今回、金利が3種類出てきました。
①日本銀行と銀行の間の金利のことを「公定歩合」といいます。
②銀行と銀行の間の金利のことを「コールレート」といいます。
③銀行と国民の間の金利のことを「預金金利」といいます。
景気が良くなるかどうかは、預金金利がカギとなっています。
預金金利が低くなれば、銀行からお金を借りて、買い物をする人が増えるからです。
公定歩合やコールレートが下がることで、結果的に預金金利が下がって、景気が良くなるのです。
政策金利
次に、政策金利という言葉を説明します。
政策金利とは、日本銀行が作る「目標」です。
「金利の数字を○%にする」と作った目標のことを政策金利と言います。
「政策」とは、「政府が作る作戦」「政策が作る計画」ということです。
金融が自由化する前
1995年まで、日本の政策金利は公定歩合でした。
国の偉い人たちは、公定歩合の数字を高くしたり、低くしたりすることで、景気をコントロールしていたのです。
ちなみに「上げたり、下げたりすること」を「操作」と言います。
どのようにやっていたのか説明します。
公定歩合は、日本銀行が決めています。
まず、公定歩合を上げる場合についてです。
公的歩合が高くなれば、銀行は、日本銀行からお金を借りづらくなります。
すると、銀行は銀行のお金の量を増やすのが難しくてなります。
こんな時、銀行は、国民にお金を貸す時に、高い金利でお金を貸すのです。
銀行が国民にお金を貸す時のことを預金金利と言います。
公定歩合が高くなると、預金金利も高くなるのです。
ちなみに、預金金利の大きさは、銀行が決めています。
次に、公定歩合を下げる場合を見ていきます。
公定歩合が低くなると、銀行は、簡単に日本銀行からお金を借りることができるようになります。
すると、銀行の手持ちのお金が増えます。
手持ちが増えた銀行は、国民により簡単にお金を貸せるようになるのです。
つまり、公定歩合が下がれば、預金金利も下がるということです。
金融が自由化した後
次に、金融が自由化した後はどうなったのかについて説明します。
1994年に金融が自由化しました。
それまでは、銀行は日本銀行からお金を借りるしかありませんでした。
しかし、金融が自由化したことで、銀行は、銀行どうしでお金を貸し借りするようになりました。
金融が自由化した後も、銀行は、日本銀行からお金を借りることはできます。
しかし、公定歩合は、高いです。
一方で、コールレートの方が低いことが多いです。
そのため、銀行は、日本銀行からお金を借りるのではなくて、銀行どうしで貸し借りすることが増えました。
こうして、金融が自由化した後は、コールレートが政策金利になりました。
コールレートが高いか低いか、というのが、景気を左右するようになったのです。
昔は、日本銀行が公定歩合を上げたり下げたりすることで、全国の銀行の預金金利が影響を受けました。
しかし、金融が自由化した後は、公定歩合は、預金金利に影響しなくなりました。
代わりに、コールレートが預金金利に影響を与えるようになりました。
公定歩合の役割が終わったのです。
銀行どうしは、競争するようになった
金融が自由化する前は、全ての銀行の預金金利は同じでした。
しかし、金融が自由化したので、それぞれの銀行が、預金金利を自由に設定できるようになりました。
金融が自由化したことで、銀行どうしは、競争するようになりました。
よりたくさんのお客さんにお金を貸せたら勝ちです。
また、お客さんは、預金金利が安い銀行からお金を借りようとします。
そのため、それぞれの銀行は自分の預金金利をできるだけ低くしようと努力します。
こうして、銀行どうしは競争するようになったのです。