イギリスの奴隷貿易はなぜ終わったのか?奴隷貿易に反対したイギリスの経済学者のアダムスミスの意見をイラストで解説

アダムスミス

アダムスミス

アダムスミスとは、18世紀のイギリスの経済学者です。

アダムスミスは、自由貿易に賛成し、奴隷貿易に反対しました。

自由貿易に賛成

アダムスミスは、自由貿易に賛成しました。

アダムスミスが生きた時代のイギリスは、貿易が東インド会社に独占されていました。

自由に貿易できなかったのです。

ちなみにアダムスミスの意見では、「独占」と「自由」が対義語です。

当時のイギリスは、一つの会社が儲けを独り占めしてる状態でした。

そのためアダムスミスは「貿易は自由に行うべきだ」と主張しました。

東インド会社は、あまり効率よくお金を稼ぐことができていませんでした。

東インド会社は1772年には、事実上、破綻状態にありました。

そんなボロボロの東インド会社を支えるために、イギリスの政府は、いろんなルールを作って、東インド会社を助けました。

植民地は、国を豊かにするのはなく、貧乏にしていたのです。

東インド会社の社員は、道徳的にも問題がある人が多くいました。

この会社の社員が腐敗していることは、みんなが知っていることでした。

アダムスミスは「独占貿易」を含めて東インド会社そのものを、なくすべきだと主張しました。

というのも、そこではインド人が搾取されているだけでなく、母国のイギリス人もまた利益をかすめ取られていたからです。

インド人から税金を搾り取っている上に、イギリス人に、商品を高く売っていました。

例えば、イギリス人が紅茶を飲みたくても、紅茶は、東インド会社でしか買うことができませんでした。

東インド会社の商品が高くても、そこにしか商品が売られてないわけです

高くても、「他の店で買う」という選択肢がありませんでした。

東インド会社の人は、ありえないくらい儲けることができました。

奴隷貿易に反対

アダムスミスは、自由貿易は、平等な関係どうしでやるべきだと考えました。

そのため、奴隷貿易や植民地に反対しました。

アダムスミスが「ダメだ」と言ったものは、現地の人たちへの暴力や、無防備な原住民からの略奪です。

アダムスミスは、インドやアメリカの人々がもっと強くなるべきだと考えました。

そして、ヨーロッパと対等な関係になるべきだと考えました。

なぜなら、平等な国際関係の時に、もっと効率よく経済が回るようになるからです。

当時のイギリスは、インドとアメリカを植民地にしていました。

アメリカからはタバコ、コーヒー、砂糖を

インドからは、香辛料、藍、綿織物、硝石、米、紅茶をイギリスに運びました。

それぞれの植民地が何を栽培するべきかは、ルールで、厳しく決まっていました。

また、植民地で作られたものは、イギリスの船でイギリス人によって、イギリスに運ばれました。

そして、植民地が輸入する商品は全てイギリスの母国から購入しなければいけませんでした。

アメリカ人は、アメリカで作られた商品をイギリス人から買う必要がありました。

アメリカ人は、イギリス人のせいで、コーヒーなどを高い値段が買わなければいけませんでした。

そこで、アダムスミスは「植民地は経済に悪影響がある」と主張しました。

そして、アダムスミスは「奴隷を使うことも経済に悪影響がある」と主張しました。

奴隷によってなされる労働が、いちばん商品の値段が高くなってしまうということです。

なぜなら、奴隷には、自ら進んで働いたり、道具を大切にしたりする気持ちがないからです。

奴隷になった人間は「いかにサボるか」しか関心がありません。

反論

アダムスミスの主張には、反論できる点があります。

それは、アメリカのプランテーションは莫大な利益を上げていた、ということです。

奴隷を使ったアメリカのプランテーションは、どうして儲けることができたのでしょうか?

その反論に対してスミスは、「奴隷じゃなければ、さらにもっと利益があったはずだ」と言い返しました。

綿花、タバコ、砂糖はあまりにも儲かるものであったため、コストのかかる奴隷でさえ、なおも利益を出せたのです。

しかし、穀物は、奴隷貿易だと利益が出せず、結局、奴隷めて、ふつうの労働者を雇ってます。

本当に奴隷を使うほうが儲かるなら、奴隷制は、北アメリカ全域に拡大していたはずです。

しかし、北アメリカでは、ふつうに労働者を雇うケースが多かったです。

また、彼らは、高い賃金をもらっていました。

労働者が高賃金を要求できたのは、もし要求が通らないなら、自営農民として独立するという脅しが効いたからです。

また土地も余っていて、畑を広げることもできました。

そのため、労働者に「雇われるほうがトクだ」と思ってもらうほどの高い賃金を与える必要がありました。

こうして自由民である労働者には、高いコストがかかりました。

にも関わらず、彼らは、奴隷との競争に耐えることができました。

それほど、奴隷は働き方が効率が悪いのです。

植民地に反対

アダムスミスは、植民地に反対しました。

イギリス人が外国の領土を手に入れれば、帝国の自尊心をすくぐることはできます。

しかし、実際には、こうした国外の領土は高くついただけでした。

植民地の管理とは、植民地の人たちが暴れないようにしたり、他のヨーロッパの人から守ったりなどです。

植民地は、管理が大変です。

18世紀のイギリス植民地は、上手に統治されていませんでした。

また当時のイギリスは、カナダ、アメリカ東海岸、カリブ諸島の一部、北東インド、アフリカ西海岸沿岸も所有していました。

これほどの大きな地域を管理しようとすると、とてもお金がかかります。

植民地から利潤を得るどころか、イギリス政府は膨れ上がる戦費を賄うために、たくさんの税金を集める必要がありました。

アダムスミスは、植民地の支配を止めるべきだと主張しました。

このアダムスミスの予想は、当たっていました。

その後、アメリカは独立しましたが、その後もアメリカとの貿易は打撃を受けなかったのです。

むしろ「アメリカを守る」という苦労から解放され、経済的に助かりました。

アメリカ合衆国の植民州は、1783年に独立を果たし、イギリスから離れていきましたが、

結果的には、イギリスは、より安くアメリカと貿易ができるようになりました。

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