生徒は先生に反論をしてはいけないのか?JSミルの『自由論』から考える

ミル

先生に反論することは、いけないことなのでしょうか?

この記事では、ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で述べた内容をもとに、生徒が意見を発言する自由について、考えていきます。

議論が大切な理由

議論が大切な理由は、人は、答えを教えてもらっているだけでは、その言葉に込められた意味までは理解できないからです。

人が成長するためには、失敗が必要です。

自分自身で失敗することで、世の中の教訓やことわざに込められた想いを感じ取ることができるようになります。

自分自身で失敗を経験するまでは、世の中の真理を理解できないのです。

人は、失敗することで、学びが自分のものになります。

大人たちから、何かのことわざや教訓を教わっても、自分が経験してないなら、その言葉の意味を実感することはできないのです。

それでも、その言葉の意味を少し理解する事ができる方法があります。

それは、言葉の意味を理解してる人たちの議論に触れることです。

失敗を経験したことがある人たちの議論に参加すると、世の中の教訓やことわざに込められた想いを、知ることができます。

しかし、議論の輪に入れてもらえず、正解を教えられているだけだと、その言葉の本当の意味を実感することはできないのです。

人を黙らせることは良くない

「それが常識だから」と言う理由で、他人を黙らせるのは、悪いことであると、ミルは主張しています。

理由は2つです。

①もしその意見が正しいのであれば、人々は間違いを正すことができる

②もし、間違いだったとしても、真理を改めて確認するチャンスになる

抑え込もうとしてる意見が間違いだとは限りません。

間違いだったとしても、抑え込むこと自体が害悪なのです。

反論を沈黙させてはいけない

常識は、今までたくさんの人が反論してこなかったから常識なのだと言う考え方と

だから常識に逆らってはいけない

という考え方には、天と地の差があると、ミルは言います。

 

「これが正解だから、反論しちゃダメ」と言うやり方で、「常識」を作ってはいけないのです。

少数意見の抹殺

1人だけが賛成で、みんな反対した時に、みんなを黙らせるのは、良くないことです。

それと同じように

1人以外の全員が同じ意見で、1人だけが反対意見だったとしても、その1人を他の全員で沈黙させるのは、良くないことです。

間違った意見を拡散するべきではないと考える人は、他人が発信することを邪魔したがります。

間違うことは「悪」ではない

判断力が誤って使われることもあるからと言って「判断力を一切使うな」と命じるのは、良くないことです。

間違いことはあるにしても、自分で結果を受け入れる覚悟でやっているなら、他人は邪魔してはいけないのです。

なぜ常識を重んじるのか

常識を鵜呑みにするタイプは、よく少数意見を抹殺しようとします。

こういう人はたいてい、自分1人だけの判断に自信が持てない分だけ「世間」全体の意見に絶対的な信頼をしています。

 

自分の意見より、世間の意見を大切にするのは、臆病者がやることだとミルは言います。

それに、彼らが思ってる「世間」とは、クラスメイトとか、自分と同じ世代の人とか、狭い世界です。

「常識」は移り変わる

どの時代にも、後の時代からすればバカバカしく思えるような意見があるものだと、ミルは言います。

例えば、100年前にとっては常識だったものが、今は常識じゃなかったりしています。

ということは、今、常識とされてるものは、100年後には、常識じゃないかもしれないのです。

以前は一般に広まってた常識を、今の時代が否定していたりします。

それと同じように、現時点で一般に広まっている常識も、将来の時代が否定するようになるかもしれないです。

そのため、常識だけではなくて、非常識についても、言論の自由が認められるべきなのです。

議論の自由

人間には、誤りを正すことができるという能力があります。

人間は、議論によって、自分の誤りを正すことができるのです。

議論の自由を許せなくなると、学校は、本音や判断力を、あるがままに発揮できる場所では、なくなってしまいます。

私たちは、いつでも、意見が合うわけではありません。

だからこそ、話し合うチカラを磨いていく必要があります。

必要なことは、お互いに反論をしあって意見を擦り合わせる作業をすることです。

このチカラは、社会に出てからも必要です。

何が譲れて何が譲れないのか、お互いに出し合い、妥協点を見つけるという作業は、他人がいないとできません。

学校という「他人が集まった場所」でやるべき事は、個性と調和のバランスを探す事です。

たしかに、自分が言った言葉で他人が不快になる可能性もあります。

しかし、だからと言って「本音を言ってはいけない」とルールを作ってしまうと、別の問題が起きます。

それは、「人が無欲になる」という問題です。

ミルがもっとも恐れていることの一つは、人々が無欲になることです。

人々が無欲になってしまうと、人類はそれ以上、成長しません。

なぜなら、人類は「もっと楽がしたい」「もっと人生を楽しみたい」などの欲望に従って、社会を発展させてきたからです。

人は、本音に従っている時に、才能を開花させます。

本音で話すことを禁止するという事は、才能を潰すことになってしまうのです。

合わない人とは距離を取れ

ミルは、合わない人とは距離を取れと言っています。

しかし、転職が自力でできる大人と違って、子どもは転校が難しいです。

合わない人がいても、その場でやり抜くしかないのです。

しかし、学校に居続けることで、本性を失ってしまうのであれば

不登校という形で、「自衛」をするのも、一つの生き方だと思います。

とはいえ、ほとんどの子どもは、学校は嫌だけど、不登校になるのも嫌なのです。

だから、学校をより良い場所に変えたいのです。

進路相談では「自分に合う学校を探しなさい」と言われます。

しかし、「学校を自分に合わせてはいけない」というのは、子どもにとっては窮屈すぎます。

学校側も今の子どもが持ってるニーズに合わせるべきです。

子どもが大人に合わせるのと同じくらい、大人も子どもに合わせる努力をするべきなのです。

筆者の意見

人は、議論を繰り返す中で、語彙力を身につけます。

語彙力がある人は、社会に出た後に、大切にされます。

また、大人を怒らせた経験が多い方が、世渡り上手になります。

そのため、子どものうちは「生意気だ」と言われるくらいが、人生トータルで見ると、おトクなのかもしれません。

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