人は自分のもの
人は、自分の判断に従って生きています。
片方に絶対の権威を与え、もう片方に無限の服従を強いるのは、無効な行為なのです。
もし誰かが「ただで自分の身を与える」と言い出しても、多分その人は、思慮分別を失っているので、無効です。
たとえ、その人が、自分自身を他人に譲り渡すことができるとしても、自分の子どもたちまで譲り渡すことはできません。
勝手に、親が子どもを売ることは不可能です。
なぜなら、彼らの自由は、彼らのものだからです
子どもが大人になるまでの間は、親は、彼らの生存と幸福のために、色んな条件を決めることはできます。
しかし、彼らを他人に与えてしまうことはできないのです。
人は、生まれながらに自由です。
自分で決めたことに従いたいのです。
しかし、至る所で鉄鎖に繋がれているのも事実です。
なぜ、鎖に繋がれているのでしょうか?
その理由は、生き残るために団結する必要があったからです。
自由と団結
人は、昔はバラバラに生きていました
しかし、大きな困難がある時は、1人のチカラでは生き残れなかったので、団結しました。
生き残るためは、協力するしかなかったのです。
人は、仲間と協力する必要があります。
しかし、人は自由に生きたいです。
それでは、私たちは、どうやって自由に生きていきながら協力すれば良いのでしょうか?
これを目指す方法を考えたのが『社会契約論』です。
社会契約論
人間本来の社会状態では、人は自由に生きています。
しかし、団結するようになってから、鎖に繋がれるようになりました。
団結するために、自由が失われてしまったのです。
ちなみに、自由とは、自分たちで決めたことに従うことです。
そこでルソーは、自由を取り戻すために、社会契約が必要だと考えました。
社会契約とは、国家とその市民の関係についての契約です。
ルソーは、個人の自由を保証する政府を作るべきだと考えたのです。
また、自分達で決めたことに従うため、皆が政治に直接関わるべきだと考えました。