『功利主義』を読んだ筆者の解釈や、印象に残ったことついて書きます
ミルが何を書いたかよりかは、筆者がどう受け取ったかについて書いているので、あくまでも個人の意見としてご覧ください
幸せとは
幸福というものは、それを直接の目的としないときのみ、到達されると、ミルは言います
満たされた人生とは?
満たされた人生とは、多少の一時的な苦しみがありながらも、多くの喜びが繰り返されていく人生です
静穏な気分でいることが多ければ、大多数の人々は、ごくわずかな快楽でも満足できるそうです
また、高揚した気分でいることが多ければ、大多数の人々は、かなりの量の苦痛も耐えることができるのだそうです
不幸の理由①楽しみがない
しかし、たしかに、幸せになれないと感じる時もあると思います
それは、自分にとって価値があると思える楽しみを生活の中に見出せない時なのだそうです
その原因は、自分の幸せだけ考えてるからなのだと、ミルは考えます
社会を思いやる気持ちや、身近な誰かに対する愛情が薄れていくと、人生のもたらす気分の高揚は大幅に失われていきます
そして、その人が死ぬ瞬間が近づくにつれて、その人が費やしてきた物事の価値が徐々に下がっていくのだそうです
一方で、他人の幸せにも気を配る人は、死の直前まで、ハツラツと生きています
その理由は、自分がいなくなった後の世界まで愛情を注いでいたり、人類全般の利益に対する仲間意識の感情を持っているからなのです
不幸の理由②興味が持てない
また、人生が満たされないもう一つの理由は、知識を与えてくれるものに対して開かれた姿勢を持っていない場合です
心が開かれてる人は、身の回りの全てのことに尽きることのない興味を見出すのだそうです
たしかに、世の中の全てのものに無関心なってしまう時期はあると思います
しかし、それは一時的に、関心が持てなくなってるだけです
誰でも純粋な個人的情愛と公共善に対して誠実な関心を持つことは可能であるとミルは考えます
満たされた人生を送る人は、人類全般の利益に対する仲間意識があります
多くの興味を持てる物があり、楽しめるものがあり、改善できるものがあります
こうゆう人は、羨ましがられる人生を送ることができるのです
悲しみは避けなくていい
良い人生を送るために、全ての悲しみを避けて通る必要はないとミルは言います
なぜなら、悲しみを未然に防ぐことは無理で、大幅に軽減することもなかなかできないからです
人は、どうしても不幸に遭遇してしまうことがあるのですが
それでも、悲しみと戦うチカラがあれば、幸せな人生を送れると、ミルは考えました
生きていれば悲しいことも起きます
しかし、人には悲しみと戦うチカラがあります
だから、悲しみを避けるのではなく、戦うチカラを磨けばいいのだそうです
悲しみを避けるために、挑戦を諦めたりする必要はなくて
悲しいことが起きても、乗り越えていけばいいのだと思います
そうゆう考え方をすると、ちょっと勇敢な生き方ができるような気がしました
幸せになれないことを覚悟の上で行動した人が、幸せになれる
自分を犠牲にして、誰かを幸せにしようとする人がいたら、その人は、まさに名誉にふさわしいです
こんな人が幸せになれないことがあるとしたら、それは世の中が不完全だからです
こんあ世の中では、他の人々の幸福のために最善を尽くそうとすると、自分自身の幸福を犠牲にするしかなくなってしまうことがあるかもしれません
世の中のこういう状態では、幸せになれないことを覚悟の上で行動した人が、幸せになれます
なぜなら、この覚悟を持っていれば、最悪の運命でも、挫折しないからです
もし、いったん、悲しみに平然としていられた経験をしたら、人生の災厄を過度に心配しなくなります
それは、災厄がいつ終わるのか分からない時も、それがいつかは終わることを知ってるからです
そんな人は、心を煩わせずにいられるのです
自己犠牲精神は素晴らしくはない
人は、他人のために自分を犠牲にするチカラがあります
しかし、「自己犠牲精神は善ではない」と、ミルは言います
社会全体の幸福の総量を変えない自己犠牲は、無駄なのです
そのため、他人のために自分だけが犠牲にすることは、オススメされていません
例えば、誰かが幸せになった分、自分が不幸になっている人がいるのなら、その人は、もっと自分の幸せを大切にしたほうが良いのです
自分だけを大切にするのではなく
他人だけを大切にするのではなく
自分のことも他人のことも、分け隔てなく大切にしていくこと
それが素敵な人生を送るコツなのだそうです
社会全体の幸福が増えるための犠牲
しかし、社会全体の幸福が増えるための犠牲なら、素敵です
筆者が考えた例え話なのですが
お金持ちの人の募金は、社会全体の幸福が増えるための犠牲だと思います
なぜなら、お金持ちの人にとっての100円は端金かもしれませんが、貧しい人にとっては100円が大金だからです
その場合、貧しい人が大きな幸せを得るために、お金持ちの人が小さい損をしたとしても、それは、社会全体の幸福が増えるための犠牲だと思います
おそらく、ミルはそのような話をしてるのだと筆者は考えました
大切にしたいのは、行動した人の幸せではなく、その行動に関わった人々全員の幸せです
利害を離れ誰にでも分け隔てなく善意を向ける第三者と同じように、偏りを全く持たないようにすることが大切なのです
このような考え方をすれば、皆んなからの幸せを奪うことで、自分だけ幸せになることができるという、考え方はしなくなるだろうと、ミルは言いました
動機について
今までの反論としては
人類の幸福を増進しろ!なんてレベルが高すぎる
常に他人の役に立とうと思いながら生きるのは苦しい
このような意見があるかもしれません
しかし、そんなに意気込まなくて大丈夫です
なぜなら「結果的に」誰かの役に立てば良いからです
どんな気持ちで行動したかは重要ではありません
結果だけが重視されるのです
とにかく、快楽(嬉しい気持ち)が増えれば、それは善です
これが功利主義の考え方です
誰かの幸せを気にしていれば良い
功利主義の考えでは、全世界のことを思いやる必要はありません
特定の誰かを幸せにできたら、それでいいのです
世の中の「素晴らしい人」と呼ばれてる人の大半は、特定の誰かだけを幸せにした人です
自分が思いやりの心を持つ対象を、特定の関係者を超えて遥か彼方にまで広げる必要はありません
少人数の誰かの幸福だけに気を配ればいいのです
もし、その人が有名なインフルエンサーで、その人の影響力が、社会全体におよぶなら、その人は社会全体のことに配慮する必要があるかもしれません
しかし、普通の人は、そこまでする必要はありません
自分と関わりがある少人数の誰かの幸福だけに気をかけていればいいのです
他人の幸せで自分が幸せになれる理由
他人の幸せを自分の幸せだと感じることができます
その理由は、人は、社会と一体化したいからです
そして、他人の幸せを自分の幸せだと感じることができる人の方が、他の人と協力できて、結果的にたくさんの利益を得ることができるのです
社会と一体化したいという気持ちは、人間がもともと持っているものなのです
人は一体化したいという気持ちを持っている
人は、たとえ教え込まれなくても、生きている中で、社会と一体化したいという気持ちが、強くなる傾向にあります
なぜなら、人々は、社会の中で暮らしてしたら、他の人々の利害を無視できないからです
他の人々と協力したり、個人の利益ではなく、集団の利益を掲げたりする現実にも馴染んでいるからです
人々が協力している限り、自分の目的と他の人々の目的は同じものになります
みんなで一緒のゴールを目指しているから、社会と一体化したいのです
自分の利益がみんなの利益で、みんなの利益が自分の利益という状況では、社会と一体化しようと思う気持ちが芽生えるのだそうです
一体化したいという気持ちが持てない日もある
しかし、たしかに、社会と一体化したいという気持ちが持てない日もあります
「みんなが得をすれば、それは自分も得することになる」ということになってるのですが、その感覚が分からなくなる時は、誰にでもあります
それは、人間がもともと自己中なわけではなく、たまたま疲れていて、自己中になってしまっているだけなのです
たしかに、他の人を助けたせいで、自分だけ損をする目に合う日もあるかもしれません
しかし、いつでもそうなわけではなりません
誰かを助けることで、自分にも利益が返ってくることも沢山あります
その経験をしたことがある人なら、他の人々の利益は自分たち自身の利益だという感情を知っているはずです
他人が利益を得ることで自分が利益を得るという仕組みになるように、行動していく方がいいです
そうしないと、人間どうしの社会が成り立たないのです
人は社会と一体化することで、みんな得をする
他の人と協力して生きることが自分の運命になっている状況では、人は社会の一部であると考えるようになります
社会と一体化したいという気持ちは、人と協力する喜びを感じる経験などを通して、育っていきます
社会の中で暮らしていれば、人は、自分の感情を他の人々の幸福と重ねるようになります
少なくとも、他の人々の幸福に対してこれまで以上に多くの配慮を現実的観点からすることが、自分の感情の一部になっていくのです
個人の幸福と社会の幸福はいつも一致するとは限りません
ただ、社会と一体化していたいという感情は、もともと人に備わっているのです
一体化したいという感情は、行きすぎると危ない
一体化したいという感情は、行きすぎると、人間の自由と個性を潰してしまう可能性があります
まず、他のすべての人々に完全な共感を持つのは無理です
他人を思いやってさえいれば、人生の中で他人と絶対に喧嘩しない、喧嘩せずに済む、ということにはなりません
やっぱり、人は衝突することもあります
衝突を避けるために、他人の自由は個性を潰してしまうのは、あまり良くないことなのです
例えば、空気を読むように強要したら、衝突は避けられるかもしれませんが、個性を潰してしまいます
こうゆうのは、あまり良い状況ではないのです
思いやりすぎると、がんじがらめになって、他人の自由や個性を潰してしまうのです
奪い合うな
自分の目的を達成するためには、他の人々の目的達成を挫くしかないと考えてはいけません
素晴らしい人でも、他の人が持っている感情を共有できないこともあります
大方の人々についていえば、一体性の感情は、利己的な感情よりも遥かに弱く、まったく欠如していることも少なくありません
しかし、本当に目指している目的に関しては、自分は他の人々と対立しているわけではありません
他の人々をまったく顧慮しない生き方で自分の人生を歩んでいくことは、ほとんど誰にも耐えられないはずです
たしかに、完全な共感を持つことは無理ですが、そこまで気張る必要はありません
他人の幸せを考えながら自分を幸せにしようとしたら、全体の幸せが増えるはずです
こうして、自分の幸せと、自分の周りの人の幸せに、少しだけ気を配っていればいいのです